(※これは2014年12月20日のブログ記事の転載です)
地位や財産、権力、職種、学歴、肩書きなどの社会的な飾り物を、
ガバッと脱ぎ捨てたら・・・、
みんな丸裸のただの人間、なんにも違いは無い。
誰もが食べるし眠るし、風呂にも入るしトイレにもいく。
時にはセックスだってするし、仕事をしたり遊んだりする。
なんにも変わらない。
そして、
人間という肉体を、まるで着ぐるみを脱ぐようにベロ~ンと捨てたら・・・、
知能、体力も関係ない。
背の高い低い、大きい小さいも関係ない。
カッコイイや悪いの容姿も関係ない。
男、女も関係ない。
老いも若きも関係ない。
健康、不健康、障害の有無も関係ない。
なんにも関係ない。
すると残るのは・・・、心と魂だけ。
五感では決して知覚できない、心と魂だけになる。
社会的な飾りや肉体といった五感で知覚できる”かたち”に囚われると
人間に優劣が生じ、”かたち”のレベルでの幸・不幸が起こる。
でも、幸・不幸は各々の心で感じるもの。
五感で知覚できる”かたち”のレベルではない。
だから、それら”かたち”全部を脱ぎ捨てて
心と魂だけで人間を捉えてみると
その中身(本質)に違いは何にもないことに気づく。
人間、誰しも失敗や間違い、勘違いはする。
もちろん成功もすることもあるが、いつも上手くいくとは限らない。
欠点があって当り前。
そしていくら欠点があっても、その人の良い点がなくなることはない。
素敵なところが消えることはない。
人間、誰の中にもある良い面、悪い面が、相殺されることはない。
良いも悪いも両方あって一人の人間。
片方しかない人間はいない。
自分だけが良い訳でなく、また自分だけが悪い訳でもない。
誰もが同じなんだよ。
笑うこと、泣くことは誰にでもある。
怒ることも、悲しむこともそうだ。
憎しみや妬みもある。
もちろん嬉しさや喜びもある。
人間にはポジティブやネガティブの
両方のあらゆる感情が存在し、それらを誰もが経験している。
そして、あらゆる感情を経験したということは、
心を持ち生命(魂)として存在しているからできるのである。
だったら我々人間は、
各々の価値観・固定観念(生き方、考え方)は違っても
人間という中身(本質)は同じということ。
そう、
心と魂という”かたち”とは関係ないものは、みんな同じなんだよ。
価値観・固定観念は”かたち”のレベルの話。
各々がいくら違っても構わない。
そんなことは、人の幸・不幸に本質的には問題はない。
価値観・固定観念の違いに囚われることはない。
「違っていていいんだよ。」と赦せばいい。
だから他者と比べて自分を責めることはない。
自分を卑下することもない。
そして相手を責める必要もない。
「みんな”かたち”は違っても中身(本質)は同じ、
私もあなたも、何ら違いはないんだよ。」
このことが分れば、心は平和でいられる。
あーだ、こうだ、と難しく考えることはない。
「みんな同じさ。」ということに気づけば、それでいい。
<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。