2023.05.24 一部加筆、修正しました。
あなたが相手(周りの全て人々)をどう思うのか!が大切
もし、あなたが、幸せな人生を送りたいと本当に望むのなら、
「相手(周りの全て人々)が、あなたのことをどう思っているか?」を気にすることではなく、
「あなたが、相手(周りの全て人々)のことをどう思っているのか!」が大切になってきます。
確かに相手から好かれれば気分は好いものです。
ハッピーな気持ちになれます。
嫌われることより好かれた方がいいに決まってます。
でも現実は、常に相手から好かれることはまずありません。
その相手が、たった一人の特定の人物(恋人や配偶者、親子など)が対象であっても、それは不可能なことです。
いつも書いているように、我々の心に抱いている考え方・価値観は、人それぞれ異なります。
ある一部分は似ていても、他の部分の価値観が完全に一致していることはありません。
ならば、あなたが今気になっている相手(知人、同僚、上司など)の価値観と全く同じであることは、ほぼ確実にありません。
それなのに、あなたは相手に気に入られようと相手の価値観に自分を合わせることを頑張っても、合わせ続けることはできません。
それでも、あなたは相手(特別に好きな人、尊敬する人、利益が得られる人)からの良い評価がどうしても欲しくて一生懸命に努力をしますが・・・・・、その努力のお陰で何とかある期間は合わせられるかもしれませんが、それでも常に合わせることは到底無理なことです。
人の心は、そのときの気分でいくらでも変わるものですから、そんなことをしていたら、きっとあなたの心は疲れる一方でしょう。
ましてや、あなたの人生に現れる全ての人々に気に入られるようにいることは、完全に不可能なことです。
ということは、不特定の大多数の人からはもちろん、特定のたった一人からも常に好かれる幸せな人生、そんなのは夢物語であり、望んでも無駄なことなのでしょうか?
とは言っても、人間は他人から評価される、認められる、好かれる幸せな人生を生きたいと思うものです。
私もそうです。
では、他人から好かれ人生を幸せに生きるために大切なこととは、どんなことでしょうか?
あなたが相手を気に入っていること、認めていること、好きでいることが大切
それは相手から気に入られることや好かれることではなく、あなたが相手のことをどう思っているか!です。
つまり、あなたが相手を気に入っていること、認めていること、好きでいることが大切になってきます。
これを言い換えると、
例え相手からあなたが嫌われても、あなたは相手を嫌わないということです。
相手があなたを信じてくれなくても、あなたは相手を信じるということです。
同様に相手があなたを赦し受け入れてくれなくても、あなたはあるがままの相手を赦し受け入れるということです。
ようするに、相手があなたを愛してくれなくても、あなたがあるがままの相手を愛するということです。
相手が愛してくれなくても、こちらが愛し続けることは損な気がする!?
これだけを聞くと、「なんだか自分だけが損をして相手だけが得してるんじゃない。なんか不公平な感じ。」と思えるかもしれませんが、実はそうではありません。
人間は、自分のことを嫌わない人を心から嫌うことはできません。
人によっては、その人が抱く価値観(価値観が正反対の場合)が邪魔をして、信じてくれるあなたのことを好きにはなれないケースもあるでしょうが、それでもあなたを100%嫌うことは出来ないと思います。
この場合はきっと「好きとは言えないけど、でも嫌いでもない」っていう感じになると思います。
つまり、あるがままの自分を愛してくれる人を、人間は心の底から忌み嫌うことはできないと私は思います。
あなたが相手を愛しても、相手があなたを頑なに嫌い続けてくる場合は?
世の中には、いろいろな人がいます。
あなたが相手を愛しても、相手があなたを頑なに嫌い続けることもあると思います。
そんな人は、あなたを嫌ったり憎んだりする分だけ、いや、それ以上にその人自身の心は必ず苦しくなると思います。
なぜなら、その人の心には必ず罪悪感が生じるからです。
そうなると、その人はいたたまれなくなり、その苦しみから逃れるために自分のことを愛してくれるあなたの前から離れていくこともあるでしょう。
そして、あなたがいないところで「あいつを見ているとこっちがイライラする。」と自分の中に湧き出た負の感情を他の人に言っているかもしれません。
時には、周りの人に、あなたが悪い人のようにあることないことを言いふらすかもしれません。
しかし、こんなことを全く心配することはありません。
それよりも、
「あなたが私を嫌っても、そしてあなたの言葉で他の人が私を嫌っても、私はあなたを嫌いません。他の誰も嫌いません。」
と、特に言い訳をせず、その状況をあるがままを受け入れ、関わった人たちを愛したら、やっぱりそれ以上の文句は周りから出てこないと思います。
むしろ不満を言っている人に対して他の人が、
「あんか、あなたの方がおかしくない?あの人はあなたに対して何も悪口は言ってないよ。誰に対しても優しいよ。」
となり、一時周りに広がった誤解は解けるだろうし、むしろ反対に周りから好かれることの方が多くなると私は思います。
他人を愛するから堂々と生きられる
そして誰に対しても嫌わない人、相手のあるがままを裁かず受け入れる人は、堂々と自分の人生を生きることが出来るはずです。
裁かない心、そこには誰に対しても後ろめたさが無い心ですから、いつも気分よく居られます。
それだけで人生は充分に幸せなものだと、私は思います。
しかし、どんな理由があるにせよ他人を嫌っていたら世間は狭くなります。
誰だって嫌いな人や嫌いなものの傍には正直近づきたくはないものです。
でも、嫌えばその人達を避けて生きること選んだことになり、結果、自分の人生を狭く不自由なものにしてしまいます。
ましてや自分ことを嫌わない人を嫌うことから生じる罪悪感は、容赦なくその人が平和に生きることを邪魔してきます。
だから私は、他人を裁きたくはないですね。
それは寛容な心が道徳的に善であるからでなく、私自身が幸せに生きるため、堂々と私の人生を歩むために裁かないでいたいです。
だからあなたは他人からどう思われようとも気にしなくていいのです。
大切なことは、どんなことがあってもあなたが他人を嫌わないこと、裁かないことです。
自分の狭い価値観で裁かずに「いろいろな人がいていいんだ。」とあるがままに受け入れることです。
一人ひとりの価値観は違っていていいんですから。
裁かない自分でいるためには
そうなるためには、いつも書いている通り、まずはあなたがあるがままの自分を愛することです。
自分を愛している人は、人間の真の強さ、素晴らしさに気づいている人です。
自分自身と仲直りした人の心は、必ず満たされています。
何かが足りないという渇望感がありません。
だから何も求めません、何も必要としません。
他人からの評価も気にしませんから、例え嫌われてもそんなこと平気です。
むしろ、自ずとその人たちを裁かず赦し、あるがまま受け入れてしまいます。
自分を愛している人は、他人を愛してしまうのです。
愛することを邪魔をしているのは、あなたの心を縛っている考え方・価値観だけ
ただ、このこと(自分を愛すること、他人を愛すること)を邪魔をしているのは、あなたの心を縛っている考え方・価値観だけです。
それは、
「こうでなければならない。あーでなければならない。〇〇に決まってる。」
という自分が信じ込んでいる常識や様々な固定観念です。
この固定観念が心の奥(無意識の領域)で無自覚に自分や他人を裁き、無言で責めているのです。
ということは、
もし、あなたが相手を嫌っているのなら、それは相手の言動が原因というわけではなく、あなたが原因ということになります。
では、なぜ悪い評価をしてしまうのでしょうか?
それは、あなたが相手の本当の姿を見ているわけではないのに、見ていると錯覚しているからです。
つまり、あなたが勝手に作った相手のイメージを見ているということです。
人は、決して相手の真実(人生や心の中)を自分の立ち位置からは見ることができない
ところで、あなたは相手の人生の全てを知っていますか?
相手の心の中の全てを100%理解していますか?
答えはどちらもNOです。知っている訳はありません。
もし知っていると思うのなら、それは傲慢と言えます。
なぜなら、相手の人生、心の中の全てを知っているのはその人自身だけですから。
その人以外に、その人の全てを知る者はこの世には誰もいません。
仮にいたとしても神様だけです。
これはどの人間にも当て嵌まることです。
だれも自分以外に自分の人生の全てを知る者はいないんです。
だから、誰もが他人からの評価なんて気にしなくていいんです。
評価してる人が勝手に想像したイメージに過ぎないんですから、そんなもので一喜一憂することはないんです。
ということは、
あなたが相手のことを全く知らずに裁くことは無意味なことになり、
あなたから見たら正しくても、相手を含め他の人から見たら決して正しいとは限らないということです。
結局、人がする裁きは、各々が勝手に作ったイメージの評価に過ぎず曖昧なものなのです。
こんな風に考える私は、自分が作った曖昧な評価で相手との関係を無駄に悪くすることはないと思いますから、
「私はあなたのこと何も知らないから、あなたはあなたでいいんじゃないでしょうか!」とします。
だから私は裁きません、相手をあるがままにします。
尚、このことは、相手を悪く評価をしているときだけに当て嵌まるわけではなく、良い評価をしているときも同じです。
どちらの評価も、相手の真実を知らずに自分の都合で勝手に作ったイメージに過ぎないのですから。
我々は、決して相手の真実(人生や心の中)を自分の立ち位置からは見ることができないんだ、と知ることが大切だと思います。
嫌われても気にしません
そして他人から裁かれても、責められても、非難されても、気にしません。
どの評価も私のことではないからです。
上述したように、その人が勝手に作った「私のイメージ」に過ぎないのですから。
ただ、私自身も同意できる評価だけは受け入れますが、それ以外は無視です。
「ふ~ん、(良い評価であっても、悪い評価であっても)あなたからはそんな風に私のことが見えるんだ。」と思うだけです。
もし、悪い評価なら、
「嫌いな私に腹を立てても悪い気分になり気を下げるだけですよ。調子が悪くなっても、その責任は私ではないですからね。 これ以上無駄に気を下げないためにも、嫌いな私のことは無視した方がいいですよ。 ただ私はあなたを嫌いません。あなたはあなたのままで構いませんよ。」
と思いますが・・・。
私も人間です。
私のことを嫌いな人を直ぐには好きになることは難しいですが、先に書いたことを理解していれば、相手を嫌わないでいることはできると思います。
こちらが嫌わなければ、いつかは誤解は解けてお互い理解し合える時が来ると私は信じていますから、その時まで気長に且つ静かに待つだけです。
心は自由、いつでも手放していい
元来、人間の心は自由なんです。
ゆえに、「こうしなさい。あーしなさい。こうあるべきだ!あーあるべきだ!」
と言った決まり決まった価値観はありません。
絶対不変の価値観なんてありません。
と私は考えてます。
このことに気づき、自分の心を縛る価値観を一つ一つ手放し、再び心を自由に戻せば裁く基準がなくなり、自ずと自分や他人を裁くことができなくなります。
そして、相手の真実を自分の立ち位置からは見れないということを理解し謙虚になれるのなら、例え悪く見えても、安易に評価しなくなり、いつしか相手のあるがままを受け入れることになると私は思います。
つまり、自分を愛せるようになり、それと同時に他人を愛せるようになるということです。
すると、不思議なことに自分が周りから愛されていることに気づくと思います。
あなたの心が自由になれば、あなたは他人を裁きません。
あなたの心は平和になり、あなたが放つ雰囲気も平和なものになり、あなたは自然と周りを癒します。
他人を癒せば、自ずと周りから愛されるものです。
そしてあなたを嫌う人もいつしか誤解が解け、あなたを嫌い続けることもできなくなるでしょう。
他人から愛されたいと望む気持ちは分かります。
だからといって相手から愛されることを求めてはいけません。
愛されるために相手に気に入られるように生きてても何も得られません。
そうでなくて自分が相手をあるがまま愛するから愛されるのです。
今回のテーマ「相手からどう思われるかではなく、自分が相手のことをどう思うか!が大切」は、
愛されることを気にするよりも、愛することの方が大切ということです。
誰の許可もいりません。
自分の意志で心を縛っている価値観を手放していいんです。
心は自由なんですから。
偉そうに書きましたが、いつものように私の勝手な考え方です。
これを理解する必要はありませんし、ましてや同意する必要もありません。
こんな考え方もあるんだな、と思ってもらえたら幸いです。
下手な文章を最後まで読んでいただきありがとうございまた。m(_ _ )m
<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。