ダメだダメだ
と自分を責めていい気分はしない。
それと同じで自分以外を否定することも
いい気分はしない。
いやいや、そんなことはない。
自分の正しさを主張して相手の間違いを指摘しただけで、
自分は何も間違ったことはしていないし、
むしろ心はスッキリするよ、と感じることもあるだろう。
しかし、
それは無意識の内に自分を責め、
知らぬ間に心に溜まった嫌なものを
他人を責めることで吐き出しているだけのこと。
ガス抜きをすれば、確かに一時はスッとするが、
根本では、ちっともいい気分ではない。
なぜなら
無意識の領域では自分を責めていることは
一向に止まっておらず、依然として続いていて、
このことに気づき自己否定の価値観を自己肯定に変えない限り、
自分を無言で責め続ける心の中の行為は終わってないから。
そもそも
自己肯定できている人は、
自分の心に余裕があるから他人を責めることはしない。
相手を赦し、あるがままを受け入れる。
相手を認め受け入れても、
それにより自分の価値が下がるとは思わないから。
あいつはダメだ。
こいつはダメだ。
こんなことを言うクセのある人は、
相手を否定しているのではなく
本当は自分を否定していることなんだと気づいた方がいい。
誰かを責めているとき、
それは自分の心がカチカチに固まって
余裕がなくなっていることのサイン。
このことに気づいたら、
そこから、ちゃんと自分自身を受け入れること。
これでいい。
あれでいい。
それでいい。
と自分にOKを出すこと、〇(まる)を点けること。
責めるのを止めると心は緩む、楽になる。
価値観は人それぞれ、全く同じなんてありえない。
価値観は違っていていい。
物事を裁く価値基準が決まっていないなら、
絶対的な正しさなんてないし、絶対的な間違いもない。
ならば自分や他人を責める理由がなくなる。
全てがあるがままでいい。
自分に〇を点けるように相手にも〇を点ければ
もっと気分はいいもの。
必ず心の解放を感じる。
そして
自分も他人も責めなくなったとき心は緩み、
その心の余裕が自分の中にある本当の力を発揮させるはず。
そうなれば病気は治り始めるだろうし、
今まで気づかなかった自分の中の能力が花開きはじめ、
人生の問題を解決してゆくだろう、
と私は思っている。
(※これは2016-02-17のブログ記事です)
<お願い>
これは「ひとりごと」として、その時の私の伝えたいことをランダムに採り上げ書いたものです。
もちろん、治療中にお話ししたことでもありますが、テーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けるようお願いいたします。