過去とは赦すために、未来は信じるためにある ①

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(※これは2014年02月26日のブログ記事の転載です)

 

~私たちは”今”という”一瞬”にしか生きていない。
 ”今”とは過去と未来の狭間であり、
 まばたき程も無い僅かな一瞬である。
 この”今”という一瞬の連続が時の流れであり、
 無数の積み重ねが人生である。~

 

過去は記憶である。
過ぎ去った一瞬の記憶である。
既に終わったことなのである。
故に過去のことを考えても仕方が無い。
過去を変えることは出来ないのだから。

人間は過去に囚われてはいけない。
過去は赦すためにある。

赦すことは、
やさしさであり、心の器の大きさ、自分の本当の強さ
を表現しているのである。

つまり赦すことは、愛するということなのである。

 

過去は責めるためにあるのでない。
悔やむためにあるのでない。
赦すためにあるのである。

こうして”今”を生きているということは、
知らず知らずに過去を赦しているから生きているのである。

そして、
あらゆることからも赦されているから生きているのである。

 

もし、赦すことや赦されることが起こってないのなら、
誰も”今”を生きることはできない。
この世に存在するすることはできない。

今、生きていることは、
「これからも生きていいんだよ!チャンスは与えられているよ。」
と全ての人の心の奥底で赦し赦されているからである。

 

ただ、多くの人は、そのことに気付いていないのである。
気付いていないがゆえに、”今”をもがき苦しんでいるのである。

 

自分は誰も赦しをしていない、誰からも赦されていない、
と思い込んで自らを責めて苦しんでいるのである。

 

多くの人間は目に見えるものしか信じない。
かたちがあるもの、物理的現象しか信じない。

自分の気持ち、感じることに鈍くなっている。
心に響くことに鈍くなっている。

自分が抱いている既成の価値観に囚われず、
今の自分の気持ちに素直になってみることである。

肉眼でなく心の目で
自分の人生で”今”起こっていることを見てみることである。

そうすれば自分が全てを赦し、全てから赦されて生きていることに
気付くはずである。

 

我々は一人では生きてゆけない。

誰もが自分以外のあらゆる存在
(人間だけでなく、動物や植物、物、自然、この世の全て)
に生かされている。

同時に
誰もが気付かない内に自分以外の全ての存在を生かしているのである。

”今”を生きているときことは、
あらゆるものを愛し、あらゆるものから愛されている
ということである。

そのことに気付けば、”今”の苦しみは消える。

自らが自らの心を癒したのである。

癒された心で”今”という一瞬を積み重ねれば、
人生は幸せなものになっていくのである。

 

余りに長いので
続きは次の記事「過去とは赦すために、未来は信じるためにある ②」になります

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

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