(※これは2009年07月22日のブログを加筆し転載したものです)
(※2023.06.27 加筆・修正をしました。最下部に追記あり)
私の人生に起こることは、全て最善なことばかりです。
人生には、
良いこと、悪いこと、様々なことが起こりますが、
実のところ自分にとって本当に悪いことなんて一つも起こっていないんだよ、
ということを言っています。
良いと思えることは、
そのまま素直に喜んで受け入れればいいですが、
自分にとって悪いと思えることは、
先のように受け入れることは・・・・、正直言って中々出来ないものです。
でもね、良いと思うことも、悪いと思うことも、全て人生の糧なんです。
そう、本当に糧なんです。
自分の心の成長の糧になっているんです。
自分にとって大変嫌なこと、最悪と感じることでも、
よくよく考えれば、それ以上の嫌な事、悪い事が起こった可能性だってあったはずです。
それが、これだけで済んだことは、
その状況下では最善なことが起こったんだ!として捉えられることも出来ます。
こんな風に思えると、先のように「全て最善なこと」と捉えられるようになると思います。
陰陽の考え方をすれば、何事にも光と影の二面があります。
この世という相対の世界では、片方だけが存在することはないのです。
どちらを見るかは、その人の自由ですが、
同じこの世を生きるなら、私は光の方を見ていきたいです。
そっちの方が私の心は幸せを感じれますからね。
心が乱れているとき、余裕がないときは・・・正直難しいですが、
それでも光の方を見ようとします。
私自身の心の安らぎ、幸せのためにです。
私は、朝起きるとき自分にこう言います。
「今日一日起こること全て、私にとって最善なことばかりさ、
人生には、良いことしか起こらないから大丈夫さ。」と言います。
生活していて自分にとって嫌なこと、
どうしようもなく不安なときは、こう言います。
「これも、私にとって最善なことなんだよ。大丈夫、大丈夫、
なんやかんや言っても、全て上手くゆくもんだよ。」と言います。
すると不思議と心は落ち着き、実際そこから思ったほど悪くならないものです。
ならば「この状況での最善なんだな。」として受け入れることができます。
命に関わること、取り返しのつかないこと等、
人生には様々なレベルで辛い事、苦しい事は起こります。
それでも自分の命がある限り、私たちはこの世を生きなければなりません。
起こってしまったことを、後悔しても何も変えれません。
クヨクヨ考えても何も良くなりません。
人間は、「今」という瞬間しか生きていません。
時間とは、人生とは、この「今」という瞬間が積み重なっただけです。
だから、いつも「今」が大切なんです。
「今、自分が何を感じているか!」が大切なんです。
苦しみ、辛さは、全部自分の心の中で起こっていることです。
そして自分の心は自分だけのものです。
人生をどう捉えるかは、その人の自由です。
苦しみ、辛さをガマンし耐えるのもいいでしょう。
必ずしも光の方を見なければならないこともありませんが、
私は、今という瞬間を少しでも幸せに感じて生きていたいのでそうします。
ただ、物事をこの様に捉えると、
先程も書いた通り、物事がそこから悪くならないか、
または何とかなっていくのです。
不思議なことにそこから良くなっていくこともあるのです。
なぜなら、
そう思うことで、自分の気(雰囲気)が好い方に変わるからです。
自分の放つ気が変われば、
自分と関わる人々と好い関係が築き易くなるからです。
また、心の視野も広がるので、
同じ物事を見ても俯瞰して見ることができて
より良い解決策に気づけるようになるからです。
だから、
「不思議なことにそこから良くなる」と言いましたが、
それは決して偶然ではなく、
むしろ必然として好い方向に進んでゆく様に
自分が仕向けたと言っても過言ではないのです。
私に限って言えば、
このように物事を捉えるようになったら心が楽になれましたし、
事実、物事が好い方向に進んでいくことを感じるので、
これを読んでくれた方の少しでも助けになれば・・・と思いここで紹介してみました。
以下は追記:(2023.06.27)
もし、このように思えないのなら、心が自由でないからかもしれません。
「~でなければならない。」
といった常識や固定観念の心が縛られていると、難しいかもしれません。
「決まり決まった価値観はない!」
私は、そう思ってますから、私の中にある固定観念を一つ一つ外してゆくにつれ、
心は自由になり、「人生に起こることは全て最善なことばかり」と捉えやすくなります。
もし、私がこのように素直に思えないときは、
私自身が、何か私の心から外せない考え方や価値観に縛られていることが原因になってます。
つまり執着や煩悩に心が囚われていることですね。
(私もただの人間です。毎回うまくいくとは限りません。)
なので、
「あ~、俺の中にあった執着が、この出来事をこんな風に捉えたんだな。
まだまだあるんやな~、俺の中の執着が!」
と思い、
「そう言えば、決まり決まった価値観はないんだよな~。心は自由な方がいいよな。」
と考え直して、それらを外すことをします。
すると心は再び自由を感じ、不思議と楽になります。