心が平和であればいい

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人は何のためにこの世に生まれ、生きているんだろう?

そんな難しいこと私にはわからない。

ただ、
嫌な気分になるためではないな。
と私は思っている。

だから、
自分を責めていることに気づいたら、
「私は、こんなことをするために生まれ、
 そして生きている訳ではないから。」
と言って責めることを止める。

 

このことは人に対しても同じである。

私の人生は、
人と争うことや闘うこと、
人を憎むことや恨むことのためにあるのではない、
ということには齢を重ねることで気が付いた。

 

確かに生きていれば、嫌なことはある。

望まないことも起こる。

腹立つこともある。

理不尽なこと、納得できないこともある。

それらを何とかしたい気持ちも正直ある。

でも、
何とかしようとする気持ちが強すぎて
私の心が益々嫌な気分になることは、決して望んではいない。

 

なぜ人はこの世に生まれたのか?
人は何のために生きているのか?
それらについての答えはまだハッキリと分からない。

しかし、
「私の心がいつも平和であればいい」と、
このことを私が望んでいることだけは確かである。

 

※次の「したいからする。したくないからしない。」に続く

 

(※これは2016-09-01のブログ記事です)

 

<お願い>
これは「ひとりごと」として、その時の私の伝えたいことをランダムに採り上げ書いたものです。
もちろん、治療中にお話ししたことでもありますが、テーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けるようお願いいたします。

 

 

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