よく、「私は逃げてばかりな弱い人間です」って仰る人がいますが、
私はそんな人に次のようなことをよく話します。
めちゃめちゃ長い文章です。あえて分割してません。
話し言葉で思いつきで書いてます。読み難いです。それでもご興味のある方は読んでください。
自分の人生からは誰も逃げることはできませんよ。
自分の人生はその人が全て責任を取るしかないんですよ。
だれも代わりに生きてはくれないからね。
ということは、
あなたが逃げていると思っていることは、
実は一度も逃げてはいないことに気づくことですよ。
だって、あなたの代わりに誰も生きてはくれないのだからね。
人間はみんな、自分の人生しか生きられないの。
だから、「私は私の人生を生きている」と自覚した方がいい。
「逃げ」だと思っていることは、実は単なる「避難」なだけ。
もしくは「休憩」なんですよ。
もし人生を旅に例えるならば、
旅の途中には色々なことが起こりまよね。
その中には気分の好い晴の日ばかりじゃありません。
嵐の日もあるでしょう。
嵐の日には、雨風をしのぐ為に宿で避難しませんか?
宿が無ければ出来るだけ安全な場所を探して休憩しませんか?
そんでもって、嵐が去ればそこから旅を再開するでしょう。
人生も同じですよ。
自分にとって無理難題なことが起こったら無闇矢鱈に挑むことは、
嵐の日に無謀に旅を続けることと同じです。
ケガをするか危険な目に合うだけです。
それよりも、まずは避難か休憩した方がいい。
そこで次の策を考えればいい。
もし考えが浮かばなかったら、そこで出来ることをすればいい。
例えば眠たければ眠ればいい。お腹が空いていたら何か食べればいい。
遊びたければ遊べばいい。
そんな風にしていると、何かいい考えが浮かぶかもしれない。
誰か助っ人が現れるかもしれない。
ひょとしたら嵐そのものが去ってるかもしれない。
「止まない雨はない」って言いますからね。
要は何とかなるまでのんびり待てばいい、ということです。
でも、「自分は逃げている」なんて考えてたら物事は上手くはいかない。
だって、心に余裕のない者に、いい考えなんて浮かばないし、
目の前に助っ人がいても気付かない。
ひょっとしたら嵐が既に去っても、
逃げていると思っているから怖くて外が見れず、
去っていることすら気づかないかもしれない。バカバカしいことだね。
無闇に挑んでも同じ。(闘っても同じ)
挑む(闘う)からには嵐が行く方向に自分も一緒に旅をすることになる。
それはいつまで経っても嵐の中を歩いていることになっている。
ちょっと立ち止まって峠の茶店で休憩してたら、
その間に嵐の方がさっさと行ってしまったはずなのにね。
自分に厳しい人は、こんな風な状況に遭いがちですよ。
まぁそんな人生も悪くはないけど・・・、
今の私なら、疲れる生き方は遠慮したいからね。
ちょっと大変だな、と思うことに出会ったら、
無理せずさっさと休憩して好きなことをして過ごしますよ。
そして楽な気持ちで待ちますよ。
「あー、俺は逃げている」って自分を責めることなんてしませんよ。
だから今の私なんて逃げっぱなしな人生です。
でも、不思議と何とかなっていくものなんですね。
まぁ、偉そうに語っても、こんなことに気づいたのは、つい最近ですがね。
30歳代半ばで心が病むまでは、今とは真逆な生き方でしたから。
以前の私は、虚勢で狭量の独善家、
自分だけが正しいと思って批判的で排他的でしたからね。(;^_^A
だから何かあると「俺は強い、強い」と言い聞かせ、
「どんなことも力尽くで何とかなる」と思っていましたからね。
でも、それが通用しなくなると言い訳と周りへの非難、
それでも何ともならないと、隠れたくなり、
責める矛先は自分に向いて「俺は弱い、惨めだ」となる始末。
そしてちょっと元気になると
「これではいけない。逃げてはダメだ」
と、またまた自分に厳しくなり、他人にも厳しくなる。
他人を信じる度量が無いから、
狭い見識だけで何かいい方法は無いかと自分の力だけで解決しようともがく。
自分の力だけで生きるのが強さであると勘違いしてたからね。
それでも時に上手く行くこともあったけど、
でも、どこかでは上手くいかず、結局は力つきて行き詰る。
こんなことを何度も懲りずに繰り返して、とうとう人生にドン詰まりになって
気持ち的になんにも出来なくなってしまいました。
そう、うつ状態です(iДi)
でもね。
ものの見方をちょっと変えたら変わってきたんですよ。(^~^)
(その切っ掛けの話は、いつか書きます)
「人生からは逃げられない。
ということは、私は一度も逃げてはいなかったんだ」って気づいてから、
「逃げ」ではなくて「休憩なんだ」と思えるようになったんです。
すると先に書いたように
心に余裕が生まれ、そから問題に対しての脱出策や解決策に
気づけるようになったんですね。
そして自分でも気付かなかった自分の中にある自分の良い側面に気付くんです。
これを別の言い方にすると「自分の未知なる力が発揮される」ということです。
だからね。
「逃げてはいけない」なんて思うことは全く要らないんだよ。
今、自分にとって無理なことなら、
さっさと逃げて(休憩して)、そこでやれることをやればいい。
特別なことをするのではなく、
ただ日常のことを「逃げている」という罪悪感を抱かずにするだけでいい。
そう、普段通りに生きればいいだけ。
寝たいから寝る、食べたいから食べる、遊びたいから遊ぶ、というようにね。
もちろん、泣きたいから泣く、笑いたいから笑う、怒りたいから怒る、もOKだよ。
だって人間だもん、いいじゃないですか。
すると不思議なことに何だか上手くいくんだよね。
まぁ、くだくだ書きましたが、これが
自分を信じて、あるがままを受け入れて生きること、
自分を愛して生きることなんだと私は思っています。
自分を愛したら、人間は自ずと他人を愛するもんですよ。
自分を信じ、あるがままを受け入れたから、
誰に対しても「あんたはあんたでいいよ。あんたなら大丈夫だよ」
って簡単に言えるものですよ。
だって、他人にこういう風に言うと自分がいい気持ちになるからね。
自分の為にも他人を愛したくなるものだよ。
あー、そうそう。
愛って言うと男女の恋愛を思い浮かべる人もいるけど、
あれは愛じゃない、殆どが愛欲だよ。(もちろん本物の愛もあるけどね)
本当の愛は見返りを求めない、無条件を与えるものだからね。
ちなみに私が言う愛の定義は、
「完全な信頼、あるがままを受け入れる(赦し)、感謝(喜び)」です。
そこは間違えないようにね。
話は逸れちゃったけど、
「あんたはあんたでいいよ。あんたなら大丈夫だよ」って
言われた方も嫌な気分にはなれないでしょう。
人間は、自分のことを信じ、あるがままを受け入れてくれる人を
嫌いにはなれないね。
だからお互いの人間関係は悪いものにはなりにくくなるよ。
そんでもって、自分のことを愛してくれる人の傍にいたいものだよ。
自分や他人に対して「逃げるな」と厳しい人より、もちろん好かれますよ。
そりゃそうでしょう。
厳しい人は、根本で自分も他人も信じていないんだからね。
その人の中にある基準をクリアーしない限り信じようとしないからね。
ちなみに厳しい人の愛は条件付きの愛であることが多いです。
本当の愛は無条件です。条件付きは偽物の愛です。
条件を付けなきゃ保てない弱々しいもの、そんなの愛ではないよ。
「逃げるな」という厳しい人は、一見すると強く見えるけど、
実はその中身は弱々しい気持ちで一杯です。
そんな弱々しい者の傍に誰が安心していられますか?
「類は友を呼ぶ」「気が合う」の原理です。
弱々しい者の傍には、同じような弱々しい者が集まるだけ。
そんな弱々しい者が集まっても上手くいく訳がない。
物事が解決する訳がない。
だから自分を責めちゃ何事も上手くいかないんだよ。
チャンスも助っ人も来ないんだよ。
来るものは自分にとっての重荷と思えるものだけ。
昔の私のように、その人生の重荷に腹を立て怒り益々もがいて、
最後はどうにもならなくなるだけだね。
でも、心配は全く要らない。
誰だって幸せに生きることは出来るから。
自分を愛して他人を愛してごらん。
あるがまま、自分に素直に生きてごらん。
他人もあるがまま、そのまま信じて見守ってごらん。
「逃げた」なんて責めないで、優しくいつまでも見守ってごらん。
きっと好いことが起こるから。
いつまでも永遠に見守る気持ちで、他人をあるがままにさせておいていい。
ちなみに「いつまでも永遠に」とは、「焦ることはない」ということです。
時間の制限が無いから、何度も失敗してもいいということ。
失敗してもいいなら、自分を愛することを忘れてもいいということ。
他人を愛することも忘れてもいいということ。
そしていつかまた自分を愛することを思い出したら、
そこからまた自分を愛せばOKということ。
そんでもってそこから他人を愛せばOKということです。
だったら、楽でしょう。今の私はこんな感じで生きてます。
「永遠に待つ」、これは優しさ、強さ、これも愛の要素です。
「何度でも赦す」、これも同じ、優しさ、強さ、愛の要素です。
「何度でもやり直す」、これも同じです。
だからいつでも「いいじゃないか」って自分に言ってあげてください。
そして自分の人生で出会う全ての他人にも気前よく
「いいじゃない」「かまわんさ」「大丈夫だって」って言ってあげてください。
すると不思議に人生は好い方向に進んで行きますよ。本当に!
私もあなたも誰もがみんな逃げてはいない、一度も逃げてはいない、
ただ、嵐が去るまでちょっと休憩しているだけ。
だから、自分を弱いと思わなくていい。
誰の中にも自分の人生を幸せに生きることのできる力は存在する。
だから、弱い人間なんて一人もいない。
誰もが永遠に強い存在、
我々の中身(本質)は、みな同じ生命(魂)であり、
その生命(魂)とは愛ある存在なんだから。
だから、姿かたち、言動に騙されないこと。
強くなろうと頑張らなくてもいい、ということ。
だだ、自分たちの本質を信じて、
あるがままの自分を受け入れ自由に生きる、人生はそれだけでいい。
と私は思う。
なんだか終わりの方は纏まりなくなったけど、気持ちが伝われば!と思って書きました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。m(_ _ )m
<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。