自分を愛し、相手を愛する自分になること

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※:前の「相手を変えるのではなく、相手を信じて、あるがままにしておくこと」の続きです。

 

待てないのなら、その問題は自分自身にある

もし、相手をあるがままにすることが出来根ない、

相手がこちらを向いてくれるまで待てない、

というのなら、それは相手の問題ではない。

 

自分自身の問題である。

相手を愛せない、という自分自身の問題である。

 

相手を愛せない原因、

それは、自分自身を愛していないからである。

 

自分を愛せない者は、相手を愛せない。

だから、人間関係でトラブルが起こるのである。

 

いつも書いているように、全ては自分からである。

自分の人生の責任は、自分が100%負うのである。

 

このことが分からないと、
自分の人生の問題の原因は、全て相手側にあるように見える。

「相手さえ変わってくれれば、上手くいくのに。
私のことを理解してくれれば、上手くいくのに。」と考え、

相手の心、つまり価値観、生き方を
自分が望むものに変えたくなるのである。

 

しかし、上手くいかないのである。

それは、ここまで書いてきたことで説明がつくと思う。

 

相手を裁かない

本当に幸せに生きたいのなら、

相手の心、相手の価値観を変えようとしてはいけない。

 

例え、自分とは180度正反対の価値観であっても
相手を変えようとしてはいけない。

その自分とは正反対の相手を
あるがまま受け入れることである。

それは、全く裁かないこと。
つまりは善悪や正誤、優劣、美醜といった
判断をしないことである。

「いろいろあっていい!」と
あるがままを受け入れることである。

 

 

もし!
もっと不幸になりたいのなら、
もっともっとトラブルを増したいのなら、
相手を裁き、非難し、相手を自分好みに変えようとすれば、
その負の願いは叶う。

 

しかし、本気で幸せに生きたいと願うのなら、
相手を裁かないことである。

 

幸も不幸も全て自分次第である。

 

 

自分を愛し、相手を愛する自分に変わること

何も制限がない自由、それが心の本質である。

ゆえに、
あるがままの相手を受け入れる無限の大きさが、
心にはある。

その心が、誰の中にあることに気づき、
「自分もそうなのだ!」素直に認めることである。

 

このことを受け入れたのなら、
自分の価値観で、自分や相手これ以上裁かない。

 

決まり決まった価値観なんてないと認め、
バカバカしい価値観は手放して、
自分をあるがままに受け入れること。
相手をあるがままに受け入れることである。

 

そう、
あるがままの自分を愛し、
あるがままの相手を愛する
自分に変わることである。

 

※:「類は友を呼ぶ。 いい意味でも、悪い意味でも、お互いに引き寄せ合う」に続く

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

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