相手を変えるのではなく、相手を信じて、あるがままにしておくこと

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相手の心を変えることはできない。

相手の生き方、価値観が間違っていると思たとき、
そのことを指摘し、何が間違っているのかを
言葉で教えることはできても、
その人の価値観自体を変えることはできない。

なぜなら、相手の心は、
その人自身しか変えることができないからである。

 

誰もが皆、
自分が信じていることが、正しいと思っている。

そして、自分の価値観を通して物事を見てるから、
自分の価値観との違いに比例し
相手が間違っている様に見えてしまう。

しかし、相手も同じ様に見ているから、
相手からすれば、こちらが間違っている様に見えている。

だから、
自分から見た相手の価値観、生き方の間違いを指摘し、
あーだ、こーだと一生懸命に教えても、
その多くは聞き入れてもらえないのである。

 

 

価値観の否定は、攻撃である

ちょっと考えれば、分かると思うが、
自分が正しいと思って生きていることを、
突然「間違ってますよ」と言われても、
素直に聞けるわけがない。

 

もし、それらが誰の目からも一目瞭然で
客観的、具体性のあることなら、
「あっ!そうか。」と気づいてくれるかもしれないが、

価値観、生き方という主観的、抽象性なことを指摘されても、
相手は、「はい、分かました」聞けないものだと思う。

 

むしろ、相手は、こちらから攻撃されたと捉えかねない。

少々大袈裟に思えるかもしれないが、それほどのことである。

 

何故なら、価値観、生き方の否定は、
その人のアイデンティティの否定に等しいからである。

 

 

人間関係のトラブルの原因

自分の普段の生活、身近なことを思い出してみれば分かると思う。

 

親子や夫婦、兄弟姉妹、嫁姑など、
ちょっとしたことで注意や間違いを指摘したときどうなるか?

 

こちらは、善かれと思い
アドバイスのつもりで相手に何かを言えば、
必ずと言っていいほどケンカになってはいないだろうか?

ケンカとはならなくても、気まずい雰囲気にはなる。

「あなたの為を思って!」
という気持ちがあればあるほど、
お互いの関係にギクシャクする雰囲気が起こっている。

 

ケンカは戦い、お互いが攻撃し合っているのである。

人間関係のトラブルの原因は、
全て価値観、生き方違いの指摘から始まると私は思うのである。

 

指摘は、自分が正しく、相手が間違っているということである。

この様にされて、相手は心地よい訳はない。

要らぬ火種を蒔くだけである。

 

 

人間関係でトラブルがあった場合、どうしればいい?

ならば、相手の価値観、生き方を変えることは出来ないのだろうか?

 

答えは、出来ない!

 

だったら、同じ屋根の下で生活する家族間で問題があった場合、
どうすればいいのだろうか?

 

答えは、何もしない!

 

「えぇ!何もしないの?」って思うだろうが、
それは、相手を放置する、相手を見放すということではない。

 

あるがままを受け入れる、ということである。

それは、相手の価値観、生き方を尊重するということである。

 

 

自分の価値観は、自分の人生にだけ通用する

いつも言うように、
決まり決まった価値観はない、絶対的に正しい価値観はない。

故に、善悪はなく、優劣や美醜などもないのである。

 

自分が信じている価値観、それによる生き方は、
自分の人生にだけ通用するものであり、
他人の人生に通用することは基本的に無い
と思った方が無難である。

 

もちろん、
価値観が近ければ通用することはあるが、それは稀である。

 

 

家族や身近な人との関係ほど気を付けた方がいい

人は、自分の勝手な思い込みで、
相手も自分と同じ様な価値観の持ち主であると信じ、
「言えば分かる」と思いがちである。

特に家族の場合は、その傾向が強い。

 

我々は、
親だから、夫だから、妻だから、
子供だから、兄弟だからなど、
自分の価値観で勝手な想像して
相手の立場に合ったその人物像を作っている。

そして、
その想像上の相手(親、夫、妻、子供、兄弟など)に
勝手に「言えば分かる」を期待をして
自分の言い分を話すから問題が起こるのである。

 

例え家族でも、別の人間同士である。

歩んでいる人生はみんな違っているから、
心にある価値観は異なって当たり前なのである。

 

家族といえども、
そこは他人と同じ様に相手を尊重すべきである。

むしろ、家族だからこそ尊重した方がいいと思う。

 

実際に人生に起こる人間関係の問題の多くは、
家族や身近な人との関係で起こっているのだから。

 

 

相手を愛すること、そこからしか言葉は届かない。

だから、自分の価値観で相手を裁いてはいけない。

 

裁く代わりに
「いろいろあっていいんだ!」と
あるがままを受け入れるだけである。

 

相手を非難せずに、あるがままを受け入れること、

そして「いつか、必ず分かってくれるさ」
と相手をいつまでも信じることである。

それは、相手を愛することでもある。

 

相手を愛するが故に
相手もこちらを愛してくれるようになるのである。

相手は、こちらを信頼してくれているから、
お互いの間に見えない壁が無くなる。

だから、もし何か問題が起こっったとしても、
こちらの気持ち、考えを素直に尋ねてくれるのである。

 

そこからならアドバイスは相手に届く。

「あなたの為」と思っていることを具体的に伝えられる。

こちらの言葉を聞く耳を持ってくれたからである。

 

だから、本当に相手の為を想うなら、
まず、こちらがすることは、相手をあるがまま愛することだけである。

 

決して、相手を変えようとしてはいけない。

あるがまま、そのままにして、
相手がこちらに対して心を開いてくれるまで、
相手を信じて静かに待つことである。

 

※:次の「自分を愛し、相手を愛する自分になること」に続く

 

 

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このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

 

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