「自分に甘い」は、自分に厳しい言葉

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(※これは2014年08月01日のブログ記事の転載です)

 

「甘い」は誉め言葉ではない

私は心を癒すため、エネルギーを高めるためには、
「楽を選ぶように」と話しますが、これを聞いて
「私は自分に甘いので楽していますよ。」と答える方が結構います。

そういう方に私は、
「○○さん、あなたはご自分に厳しいのですね。」
と言いますと、
大抵は「えっ!?」って顔をされます。

 

他人に対して「甘い」という言葉を使った場合、
それは決して褒め言葉にはなりません。

例えば「あなたは甘いね。」と言ったら、
相手を批判した意味で使っています。

 

これは自分に対しても同じことです。

周りと比べて「私はダメだ、ダメだ」
と心の中で自分を責めている人が、
「私は自分に甘いから」と言うことで自らを卑下すれば、
自分のダメさを認め受け入れたように感じられ
一時は苦しさから逃げることはできます。

でも、これは、受け入れているかのように振舞っているだけであって、
自分の弱さを本当に受け入れている訳ではありません。

むしろその逆で自分を厳しく責めていることを意味しています。

 

その証拠に「私は自分に甘い」と声に出して言ってみてください。

その声を聞いて自分の心が安らぐのを感じられましたか?

私は「自分に甘い」という声を聞いて
自らに優しさや愛情を感じることは出来ませんでした。
それより虚しく嫌な気分になります。

 

 

謙遜することは美徳?

 

「私は自分に甘い」この言葉は、
自分に厳しくすることで自分を成長させようと考える人が、
自分に厳しく出来ない、または厳しさに耐えられないと感じ、
自分を情けなく思うときに言う言葉です。

そんな弱い自分を受け入れることが出来ないとき
自分を卑下することで自分や他人に対し言い訳をしている言葉なのです。

 

日本人は、謙遜することを美徳とします。

それが悪い方に長じると自分を卑下し過ぎる傾向になります。

そのため多くの人は、
習慣的に卑下することで無意識の内に自分を責めていることに
気づけなくなっています。

 

益々自分を責めることになる

私が勧める「楽」とは、
心の楽であり心が苦しみを感じることは選ばない、
ということを意味しています。

要は、自分に素直に正直に自然に生きる、
型や枠に嵌らず自由に生きる、自分らしく生きる、
自分自身も含め、誰とも争そわず、戦わず、平和に生きる、
心豊かに生きる、楽しく生きるということです。

 

「私は自分に甘いので楽してます。」という人は、
「楽」を「サボる」とか「怠ける」
という意味で解釈している傾向がありますが、
決してそうでは無いことを理解してください。

この違いに気づかないと「楽」を選ぶ基準を間違えてしまい、
益々自分を責めることになり、心が傷つき苦しむことになってしまいます。

 

 

誰もが、自分を卑下することはない!

 

誰にでも弱さ欠点はあります。

でも、人間が持つこの未熟さは、成長の伸びシロです。
自分の中にあるこれからの可能性です。
未来の人生に花咲かせる種なのです。

 

ならば、あるがままの自分を認め、堂々と赦せばいいのです。
決して責めるべき対象ではありません。

人は生きている限り常に成長する存在です。
自分に厳しくする必要はありません。

このことに気づいたとき
「私は自分に甘いんだ」と考えていたことが、
自分への信頼、優しさ、愛情へと変わり、自然と心が癒されると思います。

誰もが、自分を卑下することはない!と私は思います。

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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