相手を頑固者と思うとき ①

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◎前の記事「心に響いたら、それが自分の中の声」の続きです

 

自分の気持ちに素直で正直なだけ

私は周りから頑固者と言われることがありますが、
私自身はそうは思っていません。

私はただ自分の気持ちに素直なだけです。
私は自分に正直にいるだけです。

 

私は、人の意見を聞いても自分自身が納得しなければ
その人の意見に従いません。

そのため周りから頑固者だと評される傾向が昔からあります。(;^_^A

 

相手の立場から見れば

誰もが相手を頑固者と評する場合、
自分の意見を相手が聞き入れなかったから、
その様に思うものです。

しかし、それは相手の立場から見れば、
自分の意見を相手に押し付けている行為であって、
それこそが自分勝手な行為になっていることに気づくべきです。

たとえ相手の為を思う気持ちであっても
押し付けた時点で独善的になっているということです。

 

人の価値観・固定観念はみな違います。

似たような考えもありますが、
全く同じ様には考えることはできません。

 

自分にとって正しいと思う意見があったとしても
それは自分にだけ正しいのであって、
必ずしも相手にとって良いのか悪いのかは分らないのです。

あくまでも意見は個人のものであり
相手に強制すべきものではないと私は思います。

 

非難は自分を信頼していない心理の表れ

誰もが自由に自分の意見を持つことはいいことです。

そしてお互いが自分の意見を伝え合うことは、
お互いにとって新たな価値観を生み出す機会になり
人間関係において意義あることだと思います。

 

でも一方的に押し付けてはいけません。

相手が自分の意見を受け入れなかった、
理解してくれなかった、
ということで非難してはいけないと思います。

その非難する気持ちそのものが、
自分の意見に固執した行為であり、
相手の立場や意見を受け入れられない
自分の器の小ささを露呈した行為なのです。

そして、
自分を信頼できていない心理の表れであり、
相手のことも信頼していないことも意味しています。

 

なぜなら、もし自分の意見を信頼できていたら、
「今は無理でも必ずいつかは理解してくれるはず」
と捉えて自分の中に焦る心は無く、

相手の可能性を信頼し、決して非難することはしないからです。

 

相手は自分自身を映し出す鏡

私は、相手を頑固者と評してしまったとき、
「あっ!今、自分こそが頑固者になっている (>_<) 」
とその時の自分の心の状態に気づき、

「あ~ぁ、また独善的になっちまった。(;^_^A
 人は人、自分は自分。
 価値観が違うことは当り前さ。
 なにが正しいかなんて決まっていないさ。
 だから、なにも焦ることはない。
 今回のことは、これはこれでいいんだよ。」と心の中で言って
あるがままを赦し信頼し直してサッサと心の整理をします。

なぜなら相手は私自身を映し出す鏡なのですから。

 

◎長いので次の記事「相手を頑固者と思うとき ②」に続きます

 

(※これは2015年02月05日のブログ記事の転載です)

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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