助ける相手から自分が助けられるのです

この記事は約4分で読めます。

これは前回の「幸せに生きる手本になること」の補足になります。

 

安心できないときはある

前回、まずは自分自身を安心させることと書きました。

その理由も書きました。

しかし、自分自身に相手に伝えたい言葉

あなたは何も悪くないですよ。責めなくていいですよ。
脱出する道はあります。だから焦ることはないですよ。
時間もいくらでもあります。だから慌てることはないですよ。
いくらでもやり直しはできます。手遅れはありませんからね。

を言っても安心できないときはあると思います。

 

その訳は、自分が相手に対して上っ面で「大丈夫」と思っているからです。

厳しい言い方ですが、心の奥から相手のことを大丈夫と思えていないのです。
相手の強さや良い可能性を信じていないということです。

 

心の奥で自分自身を疑っているから

その原因は、自分自身が自分を信じ切っていないからです。

自分を完全に肯定していない、つまり自分を愛していなからです。

自分を信頼し、あるがままを受け入れていないということです。

 

もし、それが出来ていれば同じ様に相手のことも見ることが出来るはずです。

しかし、
「もし自分が相手の立場だったら難しいかも?」
と自分の心の奥の何処かで
自分自身を疑っているからです。

そうでなければ、相手を見て「大丈夫!」と思えるはずです。

 

実は否定的な価値観を気づくチャンス

ではなぜ「もし自分が相手の立場だったら難しいかも?」と思ってしまうのでしょうか?

それは、自分の心の中にまだ自分を制限する否定的な価値観が存在しているからです。

その否定的な価値観が、相手の状態を見て自分に不安な気持ちを生じさせるのです。

 

もう一度その否定的な価値観を見つめてください。
そしてそんなバカバカしい価値観を手放してください。

「心は自由、制限はない、良い可能性が誰の中にもある」
と再び思い出して自分を信じ、そして相手を信じ直してください。

 

実は、このことは大きなチャンスなのです。

自分では自分のことを信じ、あるがままを受け入れているつもりでいても、
実のところ心の奥底には依然として存在している自己否定の価値観があります。

それは中々気づけるものではありません。
(偉そうに書いている私自身にもまだまだ無数にあります。そして日々悩まされます)

 

しかし自分以外の他人を見て気づくことが出来るのです。

誰かを見て、その人のことを心配したり不安になったとき、
それは自分の心の中に自分を不安にさせる価値観が存在していること表しているのです。

もし、不安が無かったなら、その人を見ても「大丈夫」と素直に思え、
その人にその人が忘れてしまっているその人の本当の強さを教えて、安心を与えることが出来るはずです。

でも自分がその人を見て心配や不安を覚えたら、
自分の中に気付いていない自己否定な価値観が残っている証拠になるのです。

 

他人は自分の心の鏡

以上のことを、言い換えれば、

相手を見て自分の心の奥を見たということです。

自分の気付いていない自己否定に気づき手放すための機会でもあったとも言えるのです。

「人生は鏡、人間関係は全て自分の心の中を映し出す鏡である」
ということはこういう事なのです。
(「子供は親の鏡」という諺は全ての人間関係に当て嵌まります)

 

相手を見て、相手の強さ、良い可能性を疑った自分を赦してください。
(あるがままを受け入れてください)

相手との関係で自分を不安にした否定的な価値観に気づけたことに喜んでください。
(喜びは幸せであり、自他を愛したことです。)

 

すると、今回、助ける相手から実は自分の方が助けられたことに気づくはずです。

そして気づかせてくれた相手に自ずと感謝したくなります

きっとそこから自分の心は再び安定してくるはずです。

 

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました