前回(2018.03.13)の記事の補足

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前回の記事「自分を愛するということが人生の唯一の宿題」

 

良い成績、志望校の合格、
彼氏や彼女ができること、良い就職先に入れること、
車、洋服、結婚、家を持つこと、子供が授かること、
出世、地位、名誉、お金、仕事の成功、珍しいものを得ること、
旅行、美味しい物を食べること、趣味、遊ぶこと、
褒められること、金メダル、・・・etc
これらは全てどれだけ求めても自分を幸せにするものではない。

と書いたが、これらが不幸にするものだと言っている訳ではない。

 

自分を愛することをしないで、
その代わりにこれらが自分を幸せにするものである、
思い込むことが四苦を解消できずにその結果、辛い人生になる
といっているだけである。

だから、これらを得ようとすることを止めろとは言ってはいない。

言い換えれば、
自分を愛することが出来たなら、何を得てもいいということである。

 

 

ただ、自分を愛することができたなら、
何かを得ようとする欲望は少なくなるか、
ひょっとしたら無くなると思う。

それより自分の中の本当の力、可能性を表現したい
という願望が出てくると思う。

折角の人生、自分がしたいことをして生きることは素晴らしいことだから、
人生を大いに楽しんでいいと思う。

自分らしく生きたその結果、
望まずとも先に挙げた「良い成績や…名誉、お金…、etc」等が
手に入ることもあると思う。

 

つまりは「良い成績や…名誉、お金…、etc」などは、
自分を幸せにする為のものではなく、
自分を愛して幸せに生きた結果に得ることができるものということである。

 

ただし、これらのものが絶対に得ることが出来るか?
と問われれば、そうではない。

得られないことは多いと思う。

 

しかし、自分を愛して生きている者にとっては、
人生で起こる出来事に縛られている訳ではないので、
先のもの等が得られない結果であっても全く気にしないであろう。

 

あるがままを受け入れて生きていること、
自分を信じ切って生きていること、
それができることに感謝して生きていることこそに
幸せをを感じているのだから、結果なんて全く気にしないのである。

具体的に言えば、
自分を愛し、に素直に正直に生きれば、
良い成績であっても、そうでなくても幸せである、
お金が有っても、無くても幸せである、
褒められても、褒められなくても幸せである、とうことである。

 

自分を愛して生きるとは、
欲が無くなり質素に生きなければならない訳ではない。

姿形や評価などあらゆることに捉われないのだから、
お金持ちでも貧乏でもいいということ。
成績が良くても悪くてもいいということ。
カッコよくても、カッコ悪くてもいいということ。

何も気にせず、何にも縛られず自由に笑って(幸せに)生きているのなら、
それでいいということである。

ゆえに、自分を愛している者は、
何を見ても、誰を見ても、そこに優劣を見出すことは無く
皆同じに見えるのである。

全てを素晴らしいと祝福して優しい笑顔で生きているのである。

 

ただし、自分を愛していない者からすれば、
この様に笑顔で生きている者を見るとバカかアホに見えるかもしれない。

 

私は、バカでもアホでも構わない。
私がいつも笑顔で生きられたらそれだけでいい。

 

前回の記事に
「見える形や評価に惑わされることなく、
人や生き物、あらゆる物の中身、その本質が同等に見えるはず。」

と書いたことは、こういうことなのです。

 

今回は、前回の記事「自分を愛するということが人生の唯一の宿題」の補足でした。

終わり

 

 

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

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