3:それでは感情とは何でしょう?

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※これは「2:脳と心、肉体と魂についての私の見解」の続きです

 

それでは感情とは何でしょう?

 

普段の我々は自分が肉体だと思い込んでいて魂であることを忘れています。
そのため生命エネルギーである「気」の使い方に無頓着になっています。

そこで自分の本質であるは、感情を使って自我(自覚している表面上の心・顕在意識)に向けてメッセージを送っているのです。

 

つまり、
心がポイティブな気持ちを感じているときは、魂から生命エネルギーが肉体に有益に使われていることを教えている。

逆に、ネガティブな気持ちを感じているときは、肉体にとって無益又は有害に使われていることを教えている。
という様にです。

 

感情は心の反応

感情は、心の中の反応でもあります。

何に対しての反応かというと、
ある出来事やある価値観が、自分の信じ込んでいる価値観(固定観念)に対してどうであるか?ということです。

それは固定観念に近ければ近い程いい気分になるし、
逆に、遠く離れていけば嫌な気分になりるということです。

似たような価値観の者同士は、お互いに共感し合い仲間意識が芽生えることになります。

「気が合う」「類は友を呼ぶ」「同病相哀れむ」などがそのことを表しています。

しかし、この固定観念という価値観にも別レベルからの価値観に対しての反応として感情が出てきます。

 

それは、「なんとなく」という感じで、通常は日常の出来事に追われ気づけないもので、「気のせい」として無視されているものす。
しかし、常にどこかに淡いレベルながら確実に感じているものです。

 

 

心の奥からの反応

それは自分や他人を否定するときには嫌な感情が起こり、逆に肯定するときにはいい気分が起こるはずです。

具体的に言えば、
「こんな私ではダメなんだ、正しくない。」とか
「あなたは間違っている」と思えば嫌な気分になります。
苛立ちや傲慢さを感じると思います。

一方、
「私は私でいい、あなたはあなたでいい。誰も悪くない、人は色々、違っていてもいいんだよ」
と思えば気分が楽になると思います。
切迫感や焦りがないと思います。余裕や自由を感じると思います。

 

では、この違いはどこからくるのか?

それは私たちの本質、すなわち魂から来るのだと思います

 

感情があるからこそ意味がある

魂の中に心があって、その心は顕在意識レベル(表面上)の心ではなく、もっと奥深いレベルのものです。

その深いところにも価値観は存在し、その価値観に対して顕在意識レベルの固定観念を照らし合わせたとき湧いてくる感情のことです。

すなわち私たちの奥底、魂のレベルでは自分という存在を絶対的に肯定しているということです。

もし、それが無かったなら、
自分や他人を否定したときに嫌な感情にはなりませんし、肯定したときに好い気分は起こりません。

何らかの基準となる価値観が心の何処か(それが魂です)に存在するからこそ、それに対して感情が起こるのです。

 

我々は感情があるからこそ生きていることを実感しているのです。
幸も不幸も生きているからこそ感じるのです。
好きや嫌いも、喜びや悲しみ、苦しみも生きているからこそ感じるのです。

 

我々に全く感情が無かったら、何んの為に生きて存在しているのでしょうか?

ロボットや人形には感情はありません。
だから姿かたちが似ていてもただの物質なのです。

我々は食べ物の寄せ集めである蛋白質の塊(肉体)ではありません。

そこに感情があるからこそ、心があるからこそ人間であり生きているのです。

今ここに存在することで人生に意味を与えることが出来る主体的な存在なのです。

 

※次のテーマ「4:自分を愛さないから病気や老いや死が近づく」に続く

 

 

 

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このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

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