(※これは2009年12月14日のブログを加筆、編集したものです)
分からないなら
未来とは、何が起こるか誰にも分からない。
たった1秒先でも、正確には誰も分からない。
良いことが起こるのか? それとも悪いことが起こるのか?
今、分からない未来を心配しても仕方が無い。
心配していると、それだけで今という一瞬が嫌な気分になる。
それだけでも不幸なことだ。
分からないのなら・・・・、
「きっと良いことがが起こる、上手くゆく。」と私は信じることにしている。
そう思うだけで、今という一瞬が楽しく嬉しくなる。
それだけでも幸せを味わっていることになる。
本当に良いことが起こったなら
そして本当に良いことが起こったなら・・・・、
そりゃ、めちゃくちゃ嬉しいはずだ。
そのことが起こるまでの時間も楽しいし、
そして実際に良いことを体験できるなんて、大変幸せなことである。
もし、予想した良いことが起こらなくて悪いことが起こったとしても・・・、
それが起きるまで幸せを感じられたのなら、それだけで充分満足である。
悪いことが起こると心配してて、本当にそうなってしまったら
悪いことが起こると心配してて、本当にそうなってしまったら・・・・、
ずーっと、嫌な気分を味わい続け、そして悪い結果を体験することである。
これって、不幸の上にまた不幸を上塗りしたこと同じである。
これでは辛い!
心配していても、良いことが起こったなら
心配していても、良いことが起こったなら・・・・、
もちろん嬉しいだろうけど、それが分かるまで嫌な気分を味わなければならない。
出来ることなら、嫌な気分は少しでも味わいたくないものだ。
つまり、分からない未来を心配したって良いことはない。
過去を元に未来を占っても意味が無い
未来を占っても意味が無い。
過去のデーターから未来を予測しても、正確に知る事なんて出来ない。
ならば過去を元に自分の可能性に制限を掛けられることほど不幸ことはない。
それより、
自分の未来は必ず良いことが起こると信じていれば、それだけで幸せである。
例え何の根拠がなくても、
「良いことが起こる、上手くいく」と信じているだけで幸せである。
どんな困難が予想されても、どんなに世間や常識が無理だと言っても、
その望みが叶う可能性が0ということは決してない。
見えないものが見える
奇跡を信じれる人は、それだけで幸せな人ということ。
自分の良い可能性を信じられる人は、とっても強い人である。
自分を信じる人の心の視野は、とっても大きく広い。
物事を大きな視野で色々な角度から見れるから、いつ何をしていいのかが気付きやすい。
それは自分を信じられない人には決して見えないものが見えるということである。
そんな自分を信じられる人は、心に余裕があってとっても魅力的であるから、
自ずと他人を引き付けることになり様々な協力を得ることができるだろう。
だから問題があれば解決するだろうし、きっと望みを叶えることもできるだろう。
未来は、何が起こるか分からないから・・・・、自分を信じれば楽しく面白いものになる。