※これは「レンズの色の違いで世界が違って見える」の続きです
もし私が自己否定のレンズを着けたら
自己否定の価値観を
暗く濃いグレーのレンズだとして、
もし私が心の平和を乱す
自己否定の価値観のレンズで世界を見たら、
当然そこは暗い世界に見えるでしょう。
もしその世界で私の心を乱す何かをを見つけたら、
私は怖くてそれに対して何とかしようときっとする。
それは逃げることかもしれないし、
隠れることかもしれない。
ひょっとして攻撃するかもしれない。
とにかく、
私の中の怖さと不安を無くすために何かをするでしょうね。
しかし、
私は依然として暗いレンズ(自己否定)で
世界を見ているので
私の行動によりどんな結果になっても、
きっと私には暗く否定的にしか見えないでしょうね。
頑張って頑張て何とか一つを解決したとしても、
「次に何が起こるか?」
と私の心は不安な気持ちが続いていると思います。
きっと私を苦しめる恐ろしいものが
何処かにまだ隠れているかも?
と疑心暗鬼になっていていると思います。
それでも私は「負けるもんか!」
と健気に頑張って頑張って努力して、
やっとの思いで上手くいったとしても、
この喜びが長くは続くとは・・・・到底思うことはできません。
だって、
自己否定の暗いレンズを着けている私には、
依然としてこの世界は暗く恐ろしいものにしか
見えないのだから仕方ないです。
私に見えるこの暗い世界では、
良いことがいつまで続くかどうか信じることなんて
出来る訳がありません。
自分が努力して得たものを失う可能性を
どうしても考えてしまうと思います。
だから、程度の差はあっても
常に心の中に不安と緊張があるでしょうね。
私は他者を信じられない
私が見ているこの暗い世界に住む他の人々を
私はきっと心から信頼なんてできる訳がないと思います。
怯えた自己否定の心では、
人を信頼するなんて・・・、そんなこと無理な話といものです。
だから、私のやることなすことが全てが、
この不安な気持ちから起こるから、上手くいかないでしょうね。
きっと話すことも否定的な事ばかりになるでしょう。
こんな私を他の人が信頼することなんてある訳がないです。
もし、ひょっとして心の広い人がいて、
私を信頼してくれたとしても
私はそのことを信じられないと思います。
なぜなら、自己否定な私には、
私を信じることなんてできないです。
そんな私は、自分が他人から信頼される価値があるとは
到底思えないのが普通です。
そして、こんな自分を信じられない私が思いつくことは、
「ひょっとしてこの人は私を騙しているか?
私から何かを奪うことを企んでいるのか?」
と根拠もなく疑心暗鬼が出てくるでしょうね。
本当に私を騙していなくても、
「いつかは私を裏切ってしまうに違いない」
と考えてしまい、
信頼されることを受け入れることが出来ないと思います。
この様に相手の信頼に応えない私は、
いつしか相手から得たその信頼を無駄にして
本当に失うでしょうね。
信頼を信頼で返せない人は、
いつまでも相手から信頼され続けられることなんて
通常はありませんよ。
もし、相手が人間的に出来た人であって、
無条件の愛を与えてくれるのあれば話は別ですがね。
でも現実にはそんな人は、めったにいない。
例えいたとしても
自己否定の私にはその人を信じることなんて
到底できないと思います。
むしろ、「こいつは怪しい~」と、
より一層疑って、きっとその人を避けるしょうね。
※:続きは次の「自己否定のレンズ ②」です。
(※これは2017-07-04のブログ記事です)
<お願い>
これは「ひとりごと」として、その時の私の伝えたいことをランダムに採り上げ書いたものです。
もちろん、治療中にお話ししたことでもありますが、テーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けるようお願いいたします。