信じることは、待つこと

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(※これは2013年11月02日のブログ記事の転載です)

 

信じるとは、疑わないことだけではないと思います。

望むことは起こる、と信じるとは、
「疑わないこと」+「待つこと」である、と私は思います。

 

じゃ、どのくらい「待つ」にかと言うと、
いつまでもいつまでも・・・・待つこと、
自分が死ぬまで待つ、一生待つ、永遠に待つ、ということ。

必ず起こる!と信じるのなら、
それ位の気持ちで待てるものであると思います。

 

自分が死ぬまで!と考えると、とても難しく
無理な条件の様に聞こえるかもしれませんが、実はその逆です。

自分が死ぬまでだから、何も、今、焦ることはないのです。
生きている間、ずーっとただ待つだけなのです。

 

信じる気持ちは、心の中のことです。
待つといっても何もしないで、じーっとしていることではありません。
普段通り、好きなように生きていればいいだけです。

 

多くの場合、いついつまでに!」と
心の中で勝手に期限を設けるから焦って待てないのです。

死ぬまでなら、残りの人生全てということなので、
「いつかは信じたとおりになるよ。」とのんびりと待てばいいのです。

 

自分が信じたいことなら待てるはずです。
信じたいことは、自分にとって良いことのはずです。

だから長い時間を信じ続けることは、さほど苦にはなりません。

「絶対そうなるに決まっている!」
と確信しているのなら、むしろ楽しいはずです。

 

待っている間、イライラしているのなら、それは疑っていることです。
信じていないことです。

もし途中で疑うこと考えてしまっても、がっかりすることはありません。
疑ったことを気付いたそこから再び信じ直せばいいだけです。

 

一瞬たりとも疑わない!と固く考える必要はないのです。
固く考えるから、待てずに途中から諦めるのです。

何事も気楽に待てばいいのです。

 

大切なのは、望みが実現するときに信じていることなのです。

望みが実現する瞬間に
「ほらね、信じた通りになったでしょ。」と自分が思えればいいのだから。

 

もし、信じていなかったのなら、実現しても諸手を挙げて喜べませんよ。

自分が望むことならいつまでも諦めず焦らず気長に待つこと、
それが望むことを「信じる」ということだと思います。

 

未来なんて分からない。
一生待つといっても、明日、実現しているかもしれません。
要は、時間にこだわらず、ただ気楽にしていればいいのです。

何を望み、何を、誰を信じるのかは、人それぞれです。

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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