欲と願望は違う

この記事は約8分で読めます。

これは前のテーマ「欲はいらない」の続きです

欲と願望は違う。

欲は自己否定から生まれるもの。
一方、願望は自己肯定から生まれるもの。

欲は、それがないと幸せになれないと思っているので
それを自分が必要としているもの、
または、それに依存、頼ろうとしようとしているもの。

つまり、欲は自分の弱さから生じるものである。

 

一方、願望は、自分の中の力、可能性を信頼し、
自分の強さから生じるもの。

自分の強さを知るがゆえに
次の自分がどの様になっていくか!(自分の成長のこと)
自分もまだ知らない内側にある眠っている力(自分の可能性)
をどう発揮していくか!
ということに期待と喜びを感じているのが願望である。

 

欲とは?

欲は、「欲しい、欲しい」とばかり思い、
焦りと苦しいほどの切望の気持ちで心の平安を失っている。

なぜなら自分にはそのことが実現するとは到底思えないからである。

それを得るための価値が自分にはないと思っているからである。

でも、幸せになるにはそれが絶対に欲しいと思っている。

 

心の弱さから生じた欲は、例え形の上で得ることができても
それによって満たされた気持ちは長続きしない。

また直ぐに次の欲が生まれてくる。

この終わりなく生ま出てくる欲を埋めることができるものは、
この世にはない。

何を得てもそれは不可能である。

まるで心に大きな穴が開いているかのように
全てが残らず消えていってしまうよう感じ、
決して満たされることがないのである。

 

心の穴は自己否定から起こっている

自己否定の価値観に囚われた者が経験する心の苦しみ、
これが心の穴である。

なぜなら心の穴は、
自分を愛していないことから生じたものだからである。

 

この心の苦しみは、欠乏感や渇望感で現れる。

常に何かが自分には足らないと思えてしまう。

それがお金であったり、物であったり、
地位や名誉であったり、
ときには好きな人からの愛情であったりする。

でもどれもその人の心の穴を埋めるに足りるものはない。

 

心の穴は他人からの愛情だけでは埋まらない

好きな人や大切な人からの愛情なら自分の心の穴が
埋まる気はするが、残念だが埋まらないのが事実である。

 

自分を愛せない人は、
根本で自分を信じることが出来ていないのである。

いくら愛情を注いでもらっても
その愛情がダメな自分に注がれ続けることがあるのか?
と心のどこかで疑ってしまうからである。

愛される価値が無いと自分を心の奥底で思っているので、
相手の気持ちが信じ切れないのである。

 

政治家や経営者、知識人、成功者であっても関係ない
強そうな素振り、立派そうに見えても
その人の心に自己否定が残っている限り、
「いつかは自分は見捨てられるのではないか?」
と心の奥で怯えているのである。

だからこの不安を除去するために
好きな人に、大切な人に自分に関心を向けてくれと
様々な無理を要求をする。

得ても得ても、
まだ足らない、まだ足らないとエスカレートしてゆく。

 

これを愛欲という。(愛情が欲しいということ)

恋人、夫婦、親子、友人、上司や部下、どんな人間関係でも
愛欲は起こりうる。

ときにはペットとの間にも起こる。
(異常なまでの溺愛ぶりはその象徴である)

そしてこの関係は必ず破たんし、いずれは寂しい結末になる。

なぜなら要求通りにその人に愛情を注ぎ続けられる人なんて
いないからである。

 

助けてくれる人に気づけない

もしいるとすれば、
その人は完全に自己肯定ができた人、
あるがままの自分を愛している人である。

だが、そんな素晴らしい人は滅多にいない。

 

例え自分の目の前にいても、
その人の存在に自分を愛せない自己否定の人は、
その素晴らしい人に気づけないから、いないと同じである。

 

もし仮にその存在に気づいても、
むしろ恐ろしく感じるかもしれない。

それは、自分を騙しているのではないか?
または偽善者に見え、得体のしれない気持ち悪い者に思えてしまうから、
自分を本当の意味で助けてくれる人として認めることが出来ないのである。

 

自分を愛すること

自分が自分をちゃんと愛さない限り、絶対に心の穴は埋まらない。

つまりは、
これらの真の原因である自己否定の価値観を除去することが、
唯一の特効薬であり、心の癒しを得る方法になる。

そして
自分を愛することの重要性に気付いたとき、
それを手伝ってくれる人や、
愛情を注ぎ続けてくれている人がこんなに近くにいたんだ!
と、きっと気付けるはずである。

 

願望は?

願望には焦りはない。

それを得る資質や価値は自分にはあると思っている。
だから時間がどれだけ掛かっても焦らない。

適切な時、適切なところで、適切な方法で実現すると思っている。

自分には全てが見通せる訳ではないが、全てが整ったときに
実現すると確信している。

自分は「今やれることを、やれるときに、やるだけ」と思い、
自分の歩幅で日々を人生を歩むことに心がけている。

 

故に、
なにも特別なことはしようとしない。

無理や不自然と感じることはしない。

望まないことがあっても自分を疑わない。

もちろん、他人や周りのせいにもしない。

周りのネガティブな意見に振り回されない。

常識という固まった価値観に囚われない。

何にも執着をしない。

常に自然に、自分の心に素直に正直に
穏やかな気分が感じるように臨機応変に行動してゆく。

 

要は
「人事を尽くして天命を待つ」という諺通りの生き方である。

このとき願望は自ずと実現してゆく。

 

誰にでも幸せになる力、強さはある!

人間は誰もが素晴らしい力、強さを内側に秘めている。

それは自分の人生を幸せにする力であり、
その力には年齢も性別も国籍も民族も信仰などにも
全く関係なく、誰の中にもその力、強さは存在する。

 

でもこのことを信じることができる人は殆どいない。

自己否定の価値観がこのことを信じるのを邪魔している。

そして自分がこの負の暗示に掛かっていることに
全く気付いていから外すことができない。

 

僅かだが、それを外して生きている人はちゃんとこの世にいる。

でもそういう人を見ても、
「あの人は特別だから」と思い、
「自分には無理である」とすぐに諦めてしまうのが多くの人である。
(これも自己否定の価値観がそう思わせてしまうのである)

 

あるがままの自分を愛すること

もし、今叶えたいことがあるのなら、
まずは自分にそのことが叶う資質と価値がある!
と認めることである。

人間、誰にでも幸せに生きる資質の価値はあるのだから、
全く遠慮することはない。

 

自分を価値を認めたのなら、
次は、
自分の日常の全てにおいて起こる出来事について
批判や非難を止めることである。

望むことが起ころうと、望まないことが起ころうと
その結果に左右されず、あるがままを受け入れることである。

 

人は自分を幸せにしようとして皆一生懸命に生きているのである。

その人なりに最善を尽くし生きているのである。

その健気さを誰も責めることはできない。

むしろ、どんな結果になっても
「いいんだよ」と優しく受け入れることである。

 

不平不満は言わない

自分に素晴らしい力があると認めたなら
一つ一つの結果に文句をいうことはない。

望まない結果に対して不平不満をいうことではない。

それをすれば
自分には素晴らしい力が無い
と自分に宣言するようなものである。

これでは自分で自分に泥を塗ることになる。

 

そうではなくて
「構わんよ。いいじゃないか、なんも問題ないよ」
と思うこと、
あるがままを受け入れることで
自分の強さを自分に宣言すればいいのである。

そして、
そこから「やれることを、やれるときに、やるだけ」である。

 

すべてが整ったときに実現する

この連続が幸せに生きる人生である。

あるがままの自分を愛し生きる人生である。

自分の可能性を信じる強き人生である。

そして、時がたち全てが整ったときに
叶えたい願望は自ずと実現しているはずである。

 

それは
自分にとって一番良いタイミングで人生に起こるはずである。

大きな心の視野で見ればそのことが分かると思う。

 

欲が願望に変わる

あるがままの自分を愛したとき、
自分の心には穴が開いていなかったことが分かると思う。

人間、誰もが内側に持つ真の力、強さ、限りなき大きさ気づき、
自分にもその力があると思えるはず。

そのとき欲が願望に変わる。

 

弱さという勘違いから覚め、
強さという真実に気づくのである。

ならばそこから堂々と願望を抱き、
日々を素直に気持ちよく生きれば、それだけでいいのである。

 

そして、自ずと感謝したくなるはずである。

この世の全てに、生きとし生けるもの全てに、
「ありがとう」と言いたくなるはずである。

このとき、願望は叶っていることに気づくはずである。

 

※:今回も思うまま勢いで書きました。
まとまりが無いので主旨が伝わるかどうかわかりませんが、
なんとなく感じて頂ければ幸いです。

 

(※これは2017-05-07のブログ記事です)

 

<お願い>
これは「ひとりごと」として、その時の私の伝えたいことをランダムに採り上げ書いたものです。
もちろん、治療中にお話ししたことでもありますが、テーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けるようお願いいたします。

 

 

タイトルとURLをコピーしました