欲はいらない

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欲しい、欲しいと思っている内は、
その欲しいものは手に入らない。

「無欲になれ」とは、「欲」を止めること。
これは「諦める」ということではない。

むしろ、その逆である。
全く諦めないこと、
言い換えれば、自分を信じることである。

 

自分を信じ切ることが出来る者にとって「欲」はいらない。

なぜなら必ずその願いは叶うことになると思えるから、
実現すると思えるからである。

例えそれが叶う前兆は今はなくても、
そのことに心が揺さ振られることなく
確信をもっていられるからである。

 

その自分の願いが本当に自分にとって大切ならば
そのことを思ったときに焦りや不安でなく、
安心や平穏を幸せを感じるはず。

もし、そうでないのなら
それは自分にとって無理なことである、
と心の奥底で自分が信じてしまっている証拠である。

 

ところで、この自分の中の不信はどこから起こっているんだろう?

それが無数にある自己否定の価値観である。

願いを叶えたいのなら、
すべきことは心の癒しである。

自己否定する価値観を消して
自分をあるがままに受け入れ愛すること。

願いを叶えたければ、まずはこれをすることだと私は思う。

 

これが出来ない内は、その願いは、欲になり叶うことはない。

例え、形としては叶ったとしても
必ず無理をして得ているので、そこには心の平和はない。

欲で得たもの、不自然に得たものは、
まるで幻であったかの様にいずれは消える。

 

病気を治すにも人生を良くするにも
すべきことは、自分の心を癒すことからである。

あるがままの自分を愛することである。

「誰も何も悪くない、みーんな、あるがままでいいんだよ。」
と自分や相手、全てを受け入れることである。

それを邪魔する自己否定の価値観に
気付いたら一つ一つ手放なすことである。

そして
「これはこれでいい。それはそれでいい。あれはあれでいい。」
って人生で起こった全てを心の中でやさしく受け入れること。

 

人間の心は自由、心は何にも縛られない。
自分を責めることはない。

私は私を信じる。
ゆえに心を平和に
「やれることを、やれるときに、ただ、やるだけ」である。

なにも特別なことはしない。
自然に、あるがままに、生きるだけである。

 

※:このひとりごとは、急に時間が出来たので勢いで書きました。
下書き無なし、気持ちのままに書いたのでまとまりがなくて申し訳ないです。
誤字脱字もありますが、あえてそのままにします。
ご了承ください。m(_ _ )m

 

この続き「欲と願望は違う」は、多分、明日かな?

 

(※これは2017-05-06のブログ記事です)

 

<お願い>
これは「ひとりごと」として、その時の私の伝えたいことをランダムに採り上げ書いたものです。
もちろん、治療中にお話ししたことでもありますが、テーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けるようお願いいたします。

 

 

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