(※これは2013年10月23日のブログ記事の転載です)
人間に優劣はない。
同じ人間なんて一人もいない。
みんな違う人間、その違いを個性という。
違って当たり前なのになぜ優劣を決めたがるのか。
競う意味なんてあるのだろうか。
みんなそれぞれ違うんだと分かるだけ。
優劣を決めるために他者に勝って何が面白いのか?
そこに幸せがあるのだろうか?
他者に勝つことが幸せの条件なら、
最後まで勝ち続けることができた人、
地球上にたった一人しか幸せ人間になれないということである。
競えば誰かが必ず敗者になるのだから、そんな馬鹿な話はない。
勝ち負けなんて幸せな人生には全く関係ない。
どんなことでも他者と競うこと、闘うことはバカバカしいことである。
他者に勝った優越感が、その人の幸せなら、なんて貧しい心だろうか?
そんな幸せは長くは続かない。
必ずいつかは負けるから。
永遠に勝ち続けることはできないのだから。
たとえ勝ち続けているときでも、いつかは負けるときが来ることを
恐れなくてはならない。
そこには心の安らぎは決してない。
今の世の中、勝ち組、負け組と騒いでいるが、いったい何に勝ったのだろう?
そこに求めていた幸せはあったのだろうか?
あったのは、一瞬の優越感だけだと思う。
その後は、勝者としての暮らしを守ることに必死にならなければならない。
常に襲ってくる自分と同じ様に勝ちたい、勝ちたいと思っている他者の
存在に怯えなければならない。
他者に怯え蹴落とすことに心の豊かさ、平和、喜びはあるのだろうか?
そんな生き方には、真の幸せは無いと思う。
だから、私は優劣を競うことはしない。
大切なのは、
日々僅かでも成長している自分自身に気付いていることである。
人間は生まれてから日々常に成長しているのである。
誰もがそうなのである。
人間の成長には終わりが無いのである。
肉体だけに囚われている人には、老いを恐れ、成長の意味が解らない。
終わりが無い成長とは、人間の内面、心、意識の成長のことである。
人間は肉体だけではないのである。
そのことに気付けた人は、他者と優劣を競うことはしない。
<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。