私が思う「信頼」とは ②

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(※これは2013年09月22日のブログ記事の転載です)

※前のテーマ「私が思う「信頼」とは ①」の続きです。

 

まずは自分を信じることから

相手を信じるには、
まず自分を信じることが出来ないと無理だと思います。

自分を信じるとは、
長所も短所も自分の全部を受け入れることであり、
自分の欠点、弱点を責めるのでなく、赦し受け入れることである。
と思います。

 

欠点は決して悪い所ではない

完全無欠の人間なんていません。
誰だって欠点はあります。

欠点とは、
人がこれから成長してゆく伸びしろ、
これから成長する余地なのである、と思います。

欠点は決して悪い所ではないのです。

誰だって日々刻々と変化、成長していることは、
紛れのない事実です。

全く変化の無い人はいません。

 

誰にだって自分一人では何もできなかった
赤ん坊のときがあったのです。

その赤ん坊が、少しずつ成長しここまできたように、
これからも肉体だけでなく心も成長してゆくものです。

だから自分の可能性を信じて待つのです。

欠点を克服する日、
過ちがあればその過ちに気付き償おうとする日が来ることを
いつまでも焦らず待つことです。

 

いつまでも待つこと

信じるとは、
この様に成長する可能性を信じて
いつまでも待つことが出来ることなのだと私は思います。

自分に対してこの様に信じることが出来る人が、
本当に自分以外の人を信じることができるのだと思います。

それ以外は、「相手を信じる」といっても
心から本当に信じている訳ではないと思います。

 

殆どが自らの責任を放棄して、
相手が自分の望み通りのことをしてくれるはず、
勝手に期待した(依存した)だけのこと
「相手を信じる」と勘違いしていると思います。

「相手を信じる」と決めたのは自分なのです。
その様に決めたときから自分の人生に起こることの全てに

自らが責任をとらなければならないのです。

誰もがそうなのです。

 

 

※長いので「私が思う『信頼』とは ③」に続きます。

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

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