(※これは2013年09月22日のブログ記事の転載です)
信じるについて
信頼とは、「信じる」ことと「頼る」こと。
まずは、「信じる」について。
信じるとは、
「疑わないこと」+「いつまでも待つこと。待てること。」
「浮気をするなんて、あなたを信じていたのに…、
私を裏切るなんて…、赦せない。」
というセリフをドラマ等で聞く事が多いですが、
こういうことを言う人は、はじめから相手のことを
信じてはいなかったのだと思います。
これは、自分の望み通りに相手が何かをすること
(この場合は、自分だけを好きでいること)を
一方的に期待していただけであったということなのです。
決して「100%信じている」ということではないということになります。
私が思う「信じる」とは
私が思う「信じる」とは、
「疑わずいつまでも待つことができる」ことです。
誰でも失敗や間違いといった過ちを犯すものです。
例え相手が過ちを犯したとしても、
それを赦すことが出来なければ相手を信じているとは言えない、
と思います。
信じることによるリスクを背負う覚悟が無い人は、
自分以外を信じてはいけない、ということです。
人間は未熟であるもの
人間は未熟であるものです。
それ故に誰もが、間違いや失敗、勘違いを犯すこともあるのです。
でも、それらは、決して悪くないのです。
なぜならば、それらをすることで、
何が本当に良かったのかが判るからです。
何事も経験しなければ、
良かったか?それとも悪かったのか?が判らないのです。
上記のセリフ(「浮気をするなんて・・・」)をいう人も、
過去において多くの間違いや失敗、勘違いを犯してきたはずです。
そんな自分を棚に上げて相手を責めることは、
それこそ大きな間違いであると私は思います。
自分も未熟であるなら、
相手が未熟であってもいいじゃないですか?
相手にだけ完璧を求めることは誠に身勝手なことである、
と私なら思います。
皮肉にも自分でも気付いていないその身勝手さが、
相手から裏切られてしまう原因の一つなのだと思います。
※長いので「私が思う『信頼』とは ②」に続きます。
<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。