他人(ひと)から心配されたい人 ①

この記事は約4分で読めます。

「他人(ひと)を心配する人 ④」の続きです

 

似たような題名ですみません。
今回は「他人(ひと)から心配されたい人 ①」です。(;^_^A

心配されることで嬉しく感じることがあります

人間は他人から心配されることで嬉しく感じることがあります。

自分が不安なとき心配されると、
「自分は一人ではないんだ。
 自分を分ってくれる人がいる。
 この気持ちに共感してくれる人がいる。」
と思い孤独感が和らぐからです。

誰かが自分に関心を向けてくれたことに安心を感じているのです。

確かに共感や同情は心を癒します。

しかし残念なことにこの喜びは長くは続きません。
時間と共に消え、再び不安が襲ってきます。

心配されたことでの心の癒しは、
幻であったかのように消えて終わってしまうのです。

 

ではなぜ幻として消えてしまうのでしょか?

それは先の記事にも書いたように
心配している人自身も心の中は安定していなくて不安だからです。

 

考えてみれば単純なことです。

心に不安を抱えるもの同士が一緒に居てもお互いの不安が消えることはないからです。
「同病相哀れむ」という諺通りお互いが慰め合っているだけなのですから。

 

そして厄介なことにこの関係が長く続くと
両者の心の不安が増大して別の新たな問題も生じてきます。

 

新たな問題は次のような展開で起こります

心配されたい人、心配する人それぞれの心は、
自分たちを苦しめる固定観念に囚われたままです。

それでは今の状況を捉える価値観が変わっていませんから、
お互いの心には余裕を感じることは出来てません。

 

すると心配する側の心の中に
相手に対して苛立ちが少しずつ起こり焦りが芽生えてきます。

そのため相手の気持ちを尊重することを忘れ
焦りから自分の価値観を押し付けようと強引さが出てきます。

 

一方、心配されたい人は、
それを相手からの親切心や愛情であると受け止め、
自分を相手に合わせて変えようとします。

でも、それは上手くいきません。
なぜなら、相手に応えようとすることが動機では、
まだ自分の心の準備ができていないためです。

人は、自分の心に響いた価値観なら自然に受け入れられますが、
自分の心が響かないものには無意識に抵抗感が生じ受け入れられないものです。

もちろん、我慢して上辺では受け入れが出来きますが、
しかし心の奥では拒否をしていますから、時間と共に上手くいかなくなります。

 

すると心配する側は、
「早く私を安心させてくれ」と思い、
この失敗を何とかしようと頑張り、より一層関ってきます。

時には自分の手の届く範囲に相手を留めることで
自分の中の不安が大きくならないように束縛しようとします。

そして心配される側は、
はじめの内はその相手の行為が親切心からだ
と勘違いして一生懸命に応えようと頑張ると思いますが、
やっぱり不自然さが時間と共に芽を出してきます。

無理をするため結局は上手く行ず、
自分を責める課題が増え、始めよりも不安定になって行きます。

 

こうなると心配する側も心配される側も
努力が報われずお互いが益々苦しくなります。

こんなことが終わり無く連鎖していくと
いずれはお互いの心に相手への不信が生まれ、
ついには同情が憎しみへと変わってしまいます。

そして益々お互いが不安になり不幸になっていくのです。

 

◎長いので次の記事「他人(ひと)から心配されたい人 ②」に続きます。

 

 

(※これは2014年11月12日のブログ記事の転載です)

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました