どんなことも自分の意思で行うべき

この記事は約3分で読めます。

◎前の記事「どうしても自分にとって嫌なことなら『やりません』」の続きです。

 

無理をして背負い込む必要はない

どんなことも無理をして背負い込む必要はない、と私は考えます。

もし、自分が無理をして犠牲になった場合、
その見返りを周りや相手に求めてしまうものだからです。

その見返りは、
時には報酬であったり、
周りからの評価であったり、
または相手からの感謝の表現であったりしますが、

もしそれらが自分が望むかたちで得られない場合は、そのことが元で信頼関係が崩れ人間関係のトラブルに発展するからです。

 

引き受けたのは自分

どんなことも自分の意思で行うべきだと思います。

自分の責任の下でやった方がいいです。

たとえ誰かからの要望であっても、命令であっても(※)それを引き受けたのは自分なのですから、引き受けた時点からは自分の責任になると私は思っています。

 

「どんな理由であるにせよ。『引き受ける』と自分が決めたんだ。」
と思うから責任を持って自分の為にやれるのです。

自分の為だからこそ、どんな結果になるにせよ、周りに見返りを求めることをしなくて済むのです。

 

自分の意思を実行できることは、それ自体に喜びを感じることが出来ると私は思います。
自分が納得できるように精一杯やれると思います。

例え結果が周りからの期待に応えることが出来ていなくても、その経験からの学び、成長は必ずありますから自分が納得できていれば、それだけで充分なのです。

もし、文句を言う者がいたら、その人が納得するようにその人自身がやればいいのですから、気にする必要はないと私は思います。

 

自分の行為の責任が他人のままなら

「言われたからやっているんだ!」という意識のままで嫌々の気持ちの人は、
自分の行為の責任が命令した相手のままになってます。

すると、やる気が出ないし、そこから喜びを感じることは中々出来ないでしょう。

 

もし、上手くいった場合、もちろん嬉しいでしょうが、
また同じ様なことを頼まれるのではないか?という不安が浮かび諸手を挙げて喜べません。

反対に上手くいかなかった場合は、
「無理だと分ってたんだ。私が悪いんじゃない。」と自分を正当化し、その責任を周りや相手のせいにすると思います。

そして「なんてツイていないんだ!」と自分の運命を責めるかもしれません。

 

これらの態度や雰囲気は、周りからの信頼を得ることに逆行しますから、「折角やったのに勿体無いな」と私は感じてしまいます。

自分の人生に責任を意識していないと一つ一つの経験からの気づきも難しいと思います。

 

【補足】自分の人生の責任が全て自分にある

そうそう、大切なことを書き忘れました。
上の(※)について補足です。

誰かに要望したり命令したりすることも、自分の責任の下でそれをしていることを忘れないことです。

お願いした相手がどんな結果を出しても、それによって自分の人生に何らかのことがあっても
それを相手の責任にしてはダメだと私は思います。

要は、お願いする人、引き受けた人、各々が自分の責任の下で行っているということです。

 

 

◎次の記事「 自分への過剰なプレッシャーを無くす」に続きます。

 

(※これは2014年09月15日のブログ記事の転載です)

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました