※これは「4:自分を愛さないから病気や老いや死が近づく」の続きです
自分の人生の答えは自分で気付くもの
ここまで気を説明する為に魂や霊といった言葉を使ったので何か宗教っぽい話に感じられるかも知れませんが、私は俗にいう無宗教者です。
自宅には仏壇や神棚があり、正月には神社に初詣、お盆に墓参り、クリスマスにケーキを食べる一般的な日本人です。
私は「自分の人生で起こる問題の答えは自分で気付くもの」と考えていますから、自分以外の何かや誰かに答えを教えてもらおうとは思いません。
むしろ「宗教に頼る必要はない」と言うのが私個人の考えです。
とは言っても、行き詰ったときにはヒントを探しに本を読んだりはしますし、過去の偉人や賢人達(老子や荘子、釈迦やイエス等)が言ったとされる言葉に共感や気づきを感じることはあります。
<注意>
私は宗教を否定している訳ではありません。
治療を受ける際、患者様がどんな宗教を信じているかは完全に自由ですし、そのことについて私は何も言いませんのでご安心してください。
このHPをよくお読みになった人は大丈夫だと思いますが、
ただ、ご紹介で来られた人や全くHPを読まないで来られた人の中には、
私が「気」とか「生命エネルギー」「魂」という言葉を使って話しをすると「何かの宗教の話?」と勘違いをする人が、ごく一部みえるのです。
そういう方の誤解を解くためにあえてこの様に書いただけです。
無宗教なのに、なぜ魂を信じるのか?
無宗教なのに、それでも「魂はある」と考えるのは、人生を生きる上で、そう考えた方が生き易いと私は思ったからです。
人間を肉体という単なる有機物としてだけで捉えると何だか味気ないし淋しく虚しいじゃないですか。
それより「魂はある」と思った方が、人間や人間以外の動植物に対しても命の尊さや温かさ、優しさを私は感じますし、ここまで述べてきたように「気」や「心」を理解するのに私自身が納得し易かったからです。
「院長のプロフィール2」にも書きましたが、私も色々と悩んだ時期がありました。
その中で私なりに「生きること」「死」「人間」について考えつづけました。
そして「なぜ人間は病気になるんだ」「幸せとは?」を考え、自分のしている治療の意味(仕事としてでなく、なんのために治すの?)を考えました。
すると単なる東洋医学の知識の「気」ではなく、現に今、自分が生きていることに活かせる意味で「気」を理解したくなり、アホみたいに長い時間一人で自問自答し続けて、私の臨床体験を考察しながら、その結果、自分なり得た「気」についての仮説のほんの一部を今回書いてみました。
とは言っても、まぁ、私が書いたことについては、当然のことながら科学的に何ら証明されていないことです。
う~ん、仮説?というより・・・無責任な妄想的な見解の類!?・・・私個人の死生観と言った方がいいかも。ただ、死生観っていうと硬いので「スピリチュアル」ってことにするとちょっとカッコいい。┏( ^o^)┛ しかし、霊感なんて全く無いので「えせスピリチュアル」か「なんちゃってスピリチュアル」ぐらいが身の丈に合っているな・・・、といろいろ迷った結果、「なんちゃってスピリチュアル」略して「なんスピ」ってことにします。(;^_^A
以上、私の心の中の会話です
とうことで、
1章~5章まで「なんスピ」を読んで頂きありがとうございます。m(_ _ )m
皆さんも一人一人、色々と考えや信条があると思います。
心は自由、各々が勝手気ままにご自身が納得する死生観(なんスピ)を考えられたら面白いと思いますよ。
自分なりの答えが見つかったら迷いは減り心は安定するものですから。
終わり
<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。