薬が身体を治すと思い込んでいます
前回の記事「気という概念からみたプラセボ効果とノセボ効果」でも書きましたが、私個人は、プラセボ効果は病気を治す上で最も大切なことの一つだと考えています。
しかしプラセボ効果の不安定性、不確実性を理由にその効果を疑問視したり軽視している人もいます。
そもそも我々現代人の多くは薬が身体を治すと思い込んでいます。
そして医師をはじめ現代医学の医療従事者の多くも薬が身体を治すと思い込んでいます。
(もちろん、このことに疑問を抱き様々な代替療法を模索して使っている医師や一般の人も沢山おられます。)
だから今回の新型コ■◆の様に有効な治療薬がない病気が発生したとき、国も医療従事者も我々も慌てふためき、それをマスコミが煽り、そして人々は益々不安のスパイラルに陥るのです。
薬は身体を治すことはできません。薬は身体に現れた症状を抑え込むだけです。
身体に生命(いのち)があるから治るのです。
薬は身体が持つ自然治癒力が発揮されて健康体に戻る間、症状を緩和しその手助けをしているだけなのです。(私の鍼灸も含め他の治療法も同じです。)
残念ながら多くの人はこのことを全く理解していません。
人間の本質に目を向けていないから分からない
そもそも現代医学は、人間の持つ自然治癒力のこと、その力を発揮させる仕組みを理解してません。
とは言っても私は決して現代医学を非難している訳ではありません。私自身も家族も現代医学の発展による恩恵を多く受けていますからとても感謝しています。
我々現代人は、科学技術の発達により物質的な便利さと豊かさを手に入れましたが、その反面、人間の本質、人生の意味についてあまり考えてきませんでした。
医学についても同様で、
人はなぜこの世に生まれ、生きて、死んでゆくのか? 人間とは何?
仏教で言えば、生きるとは? 老いるとは? 病気とは? そして死とは?、そう四苦です。
これらに目を向けないまま医療技術の発達のみを追求してきたのです。
つまり、生命(いのち)とは? 心とは? 肉体とは?を考えて来なかったのです。
人間の本質を考えないで治療ができるのか?
治療対象である人間、その人間の本質を考えないで本当に治療ができるものなのでしょうか?
厳しい言い方ですが、それは単に肉体という物質(人の形をした蛋白質の塊)を対象とした治療になっているだけではないでしょうか?
医学は、科学技術の発達により人間の身体を部分化して研究し物質的に分析し過ぎて、人間と言う全体像を観ることを忘れてしまってます。
心や生命(いのち)といった人間たる所以の本質、つまり目に見えない、手で触れられないという五感で感知できないものに対しても、電気信号や電磁波、温度など物理的に計測できるものとして捉えるため心や生命に対する尊厳を忘れています。
それゆえにまるで機械やロボットのごとく人間の身体を認識しているのだと思います。
だから機械を直すかのごとく誰かが肉体に手を加えなければ直らないと思っているのでしょう。
(機械やロボットと同じだから治すではなく直すです・・・皮肉です)
身体が自らの能力で自動的(自然)に治せるとはとても思えないのでしょう。
身体にそのことをさせるのが自分自身、つまり心の能力(心の状態で左右されること)で行われることが想像もつかないでしょう。
あ~、大変勿体ないです。
私からすると、あまりにも生命(いのち)の偉大さと強さ、心の能力と身体にある自然治癒力の素晴らしさを軽視しているとしか言えません。
人間は、皆さんが思っているよりも遥かに強いのです。
こういった状況だからこそ、自分の中にある本当の力の強さとその発動の仕組みを知り、実際に使うときなのだと私は思います。
そのためには人間に対する認識、肉体に対する認識を変える必要があります。
前回の記事「気という概念からみたプラセボ効果とノセボ効果」に自然治癒力を発揮させる仕組みが書いてありますので参考にしてください。