すみません。前半があまりにも長くなりました。
いつものように私はくどい性格?なので上手く纏めれません。
従って後半もとても長いです。(^^ゞ
自己満で書いてます、暇なときに読んでください。
【後半】症状の再燃から入院するまで 12/3(水)~12/18(木)
左右より上下のズレが大きくなる 12/3(水)~
しかし何故か?12/3(水)頃から左右よりも上下のズレが気になりはじめました。
最初は「錯覚かな?」と思ってましたが、室内で見る物(例えば時計)の位置が上下にズレていることに気づき、そのズレが日に日に大きくなりました。
具体的はこんな感じの視界です
正直、言葉では説明できませんが、私なりに何とか文字にしてみました。
ちょっと想像してください。
外の景色も室内と同様で、発症当初は左右のズレだったので、例えば車なら同じ車が横に並んで見えてました。
(例えば交差点で対向車線の車が信号待ちしていると両目では直進車線に白い車、右折車線にの同じ白い車が停まってます。でも片目にすると右折車線の白い車が消えます。直進車線に1台の白い車が停まってるだけです)
しかし、この時からは上下に、つまり縦方向に並びはじめました。
(交差点で例えれば、直進車線の白い車の上に同じ白い車が乗ってます。)
道路も、以前は一本の道が右目と左目で横方向にズレています。
つまり手前から遠のくにつれYの字に分かれて見えていたのが、今度は右目では上り坂のように、一方で左目では下り坂のように上下に縦方向に分かれて見えはじめました。
2階建の家の場合は、右目で見る家の1階部分と左目で見る家の2階部分が重なり、まるで3階建てのように見えはじめました。
近くで人の顔を見たときは、以前は横にダブって見えたので目が四つに見えました。もちろん口や鼻も倍になってます。
しかし今度は縦に並んでます。下の顔のオデコに上の顔の顎が重なって見えます。それも必ずどちらかが傾いています。もちろん目も鼻も口も倍あります。
遠くだと以前は同じ人が横分身で二人です。今度は縦分身で二人います。
遠くに行けば行くほど分身する距離は離れます。
人込みは倍の人が見えますから凄く混んでるように見えます。
ただ片目にすると人込みは半分に減りますが。
それが日に日に悪化し、最終的には私の視界は上半分と下半分に分かれた世界を見せるようになりました。
やっかいなことに、キレイに水平を保って分かれている訳でなく、右目も左目も内旋していますから上下二つの景色が捻じれています。
右目の視界は右上がりに傾き、左目の視界は右下がり傾き、まるでピカソの絵画のようにです。
ただし、しばらく時間を掛け右目で注視するとその右目の視界は水平を保ち始めます。
しかしその一方で左目の視界はより一層右下がりになり、右目の景色の地面に左目の景色が右斜め下に埋まっていく感じになります。
逆もしかりで、左目に注視すると左目の景色の地面でなく今度は空に右目の景色が右斜め上に埋まっていく感じです。分かります?
人も物もあらゆる物が倍あってぐちゃぐちゃ。やっぱりピカソの絵のようです。(^^;
この視覚は平衡感覚にも多少の影響を与え、酔うところまではいきませんが、気分は良くないので、自ずと左右どちらか片方の目で見ることが多くなりました。
でも、人間は不思議なもので、慣れてくると両目でもどちらか片方を無意識に注視してみるようになります。
その世界だけを見るようにし、もう片方の世界を無視すれば何とかなりました。
特に症状が悪化して上下左右のズレが大きくなったときの方が、ある意味見やすかった気がします。
むしろズレが小さい時の方が、反って重なる部分が多いためにごちゃごちゃして見づらかった気がします。
以上ですが、言葉だけで伝わりましたか?
右目が眼瞼下垂になった
更に嫌なことに以前では無かった症状、眼瞼下垂が右目に起こってきました。
そのため右目は薄目になり、右目だけで見ることが困難になりました。
上述したように複視を避けるため片目で見ることが増えましたが、片目ではどうしても目が疲れ易いのです。
(片方だけ瞼を閉じ続けることは長時間できません)
そのため左右交互で見ていましたが、この眼瞼下垂によりそれが困難になりました。
片眼で見るための工夫
この片目で見ること補助するために自分なりに工夫もしました。
眼帯でなく100均で買った伊達メガネの片方のレンズにシールを貼り、両瞼を開きながらでもシールが貼ってない目で見れるようにしました。
これでも長時間は疲れますから、右用と左用の二つを作り交互に着けました。
メガネの方が眼帯より着け外しが簡単なのと、外した後にどこにでも置けることが便利でした。

上が左目用、下が右目用です。
黒シールの貼っていない方はレンズは付いてません。穴が開いています。
幸いにも四肢と体幹はあまり悪化せず
ただ、この時も四肢と体幹の脱力は、目に比べれば発症当初から大きく進行していませんでした。
確かに左右の手の指の強張りも朝起きた直後は気になりますが、それでも11/21に三焦経を治療して以来、この強張りは鍼灸をすれば改善します。
この時期も同様に鍼灸をすれば改善し、ちゃんとパーと開きますし、握ることもできますし、普通に鍼灸もできました。
その他の部位(上腕や腹筋、腸腰筋)の脱力は残りますが、それが悪化した訳ではありません。
また新たに脱力した筋肉が現れることもありませんでした。
このことだけは幸いでした。
予約を前倒して診察 12/12(金)
12/12(金)、当初の12/17の診察を前倒しして受診をしました。
(偶然にも11/12の発症からちょうど30日目、1ヵ月です)
まずは眼科を受診です。
目の検査をすると明らかに11/26に比べ悪化していました。
そして当初は出ていなかった右目の眼瞼下垂も指摘され「右に動眼神経麻痺がありますね。滑車神経も。」と言われました。
そして先生から意外なことが言われました。
それは
「先日採血した検体からは抗体は見つかりませんでした。つまり、ギランバレー症候群も重症筋無力症も陰性です。」
という言葉です。
そして「今回の悪化した原因が何であるか?は、眼科としては正直分かりません。次の脳神経内科の先生の見解を待ちましょう」ということになりました。
つまり、発症から1ヵ月経った時点で、私は何の自己免疫疾患なのか不明になってしまいました。
そして脳神経内科を受診しました。
もちろん、ここでも同じ事を言われました。
そこで先生は予てから疑っていた脳についての検査が必要だと判断され、急遽、MRIを受けることになりました。
その結果は、脳梗塞、脳出血、脳腫瘍の全てが見つかりませんでした。
つまり脳にも異常はないようです。
これらの結果を全て考慮し先生は、
「抗体検査は保険の利く範囲でしか見てません。保険外の検査をすればひょっとして通常以外の抗体が見つかるかも?です。それより右目に症状が集まっています。今回は5㎜幅の普通のMRIです。5㎜以下の腫瘍や異常は見つかりません。よって右目の奥をより精度の高い0.8㎜幅のMRI検査が必要と思います。」
と言われました。
そして
「症状がある以上、それを改善するために病院としてできることは前回説明した入院による免疫療法です。仮に右目の奥に何かがあるにせよ、それを直ぐにどうこう出来ないので。可能性の高い疾患から対処するということです。」
と言われました。
私は
「原因が分からない以上、体に余計な薬剤を投与したくはありません。正直、血液製剤のリスクを考えると安易にハイとは言えません。」
と答え、今回も入院を拒否しました。
代わりに最初の眼科クリニックで処方され2週間服用した神経の回復を促す作用が期待できるビタミンB12剤と血行改善の薬を処方してもらいました。
(2週間の服用が終わって暫くしてから症状が再び悪化したため、ひょっとして何か影響があったのかな?と思ったので。)
そして12/28に精密なMRIを受ける予約をしたのち、当初の予約日である12/17(水)まで5日間の経過観察することになりました。
5日後の診察まで
12/12から次回の診察日12/17までの5日間は、残念なことに更に悪くなりました。
そもそも遠くや上方は見づらくても、目線の下方の手元(1mぐらい)や足元(1~1.5m)はちゃんと見えていました。
しかし、その頃からは朝起きてからしばらくの間、手元がぼやけて全く見えません。
それでも1時間ぐらい経つと、やっと脳がズレの補正ができるようで、なんとか手が届く距離の約60㎝ぐらいが見える程度まで回復しましたが・・・。
足元も1m先から二重に見え、とても顔を前に向け遠くを見ては歩けません。
とは言え、たとえ二重に見えても足元は目からの距離が近いのでズレが少ないです。
安全に歩くためには、顔を俯けて目線を下にして歩くことしかできませんでした。
気持ちも下がってきました
もちろんこの間も自分で鍼灸しましたが、残念ながら効果はありませんでした。
発症当初から「こんなものは治せる!必ず治る!」と信じて切っていたので感じていなかった不安ですが、流石に出てきました。
情けないことに「入院の拒否! 俺は判断をミスったかも?」という後悔も出てきました。
私は
「こんな負の感情に飲まれてはいけない。あの時は自分の気持ちに素直に従った判断をしただけで、それを今更悔いても仕方がない。あの判断はあれで良かった。もし仮に入院をして治療を受けても、今の症状が出ていたのなら、今以上に悔いているだろう。」
と言う様なことを思い、何度も葛藤していました。
これでは気が上がりません。下がるばかりです。
自分の鍼灸が効く訳がないです。
ただ闇雲に葛藤していた訳ではありません。
「病気は身体からのメッセージ。きっと私が何か学ばなければならない事があるのだろう。ただし、それに気づくまでは治らないだろうな。」
とも考えていました。
そもそも私の体で何が起こっているんだろう?
自分の内面のことだけではありません。
そもそも私の体で何が起こっておるのだろう?と考えていました。
仮にギランバレー症候群や亜種のフィッシャー症候群なら、既に発症から1か月経ってますから、症状のピークは過ぎてるはずです。
上述の通りなら、症状は横ばい、または徐々にい回復し始めていい頃です。
しかし、現実は症状が進行しています。
このことが理解できませんでした。
ましてや私の場合は、一時は症状の回復の兆しを見せたにも関わらずです。
ただ一つ気になったことがあります。
上述のギランバレーの予後については、一般的な治療を病院で受けた人の統計だと考えられます。
きっと私のように免疫療法を拒否して鍼灸だけで治そうとした人が集計されている訳がありません。
ゆえに上述のような予後になるとは限らないのでは?と考えました。
つまり、一度は鍼灸治療で鎮火した免疫の暴走(自己抗体)が、何らかの原因で再燃したのでは?と考えたのです。
この5日間は、「今の自分の精神状態と体力で、はたしてこの免疫の暴走を私は止められるのか!」とずーっと悩んでいました。
5日が経った診察日 12/17(水)
意外な病名「重症筋無力症」かも?
5日が経ったので予約の診察日です。
まずは眼科です。
上述したように、右目で見ることが困難になってきたので、この頃には主に左目で見るようになりました。
しかし残念ながらその左目にも少しずつ眼瞼下垂が起こり始めていました。
もちろん眼科の先生も気づかれました。
当初、入院を勧められた時はギランバレーが疑われていましたが、5日前よりこの眼瞼下垂が著しくなっていたことから、先生は症状的に重症筋無力症に似てると推察して、その判定のため急遽アイスパックテストを行いました。
(重症筋無力症の場合、眼瞼を冷やすことで一時的に筋肉の疲労が軽減し眼瞼が上がり易くなる。変化がなければ他の原因で眼瞼下垂になっている。)
その結果は、左眼だけ陽性判定(右眼は反応なし)でした。
眼科の先生は、
「重症筋無力症でも約10%に割合で抗体が見つからない(陰性)の人もいるから分かりません」
と言われました。
このアイスパックテストの結果を経て、次の脳神経内科では、確定診断をするためテンシロンテストを行いました。
(重症筋無力症の症状を改善する薬を少量注射して、その後の反応をみて判断するものです)
すると血管注射してから1分後ぐらいに先ずは両目に眼瞼下垂が改善しました。
その数十秒後に複視の症状の改善も起こりました。
しかし、いずれも数十秒で元に戻ってしまい時間が短すぎるということで、結果はグレー判定になりました。
主治医の先生は、
「残念ですが現時点では原因は特定できていません。しかし症状がある以上何らかの処置をする必要があります。こういった場合は仮説を立てて一番疑わしい疾患の治療をはじめに行います。もしそれで改善すればその結果から原因疾患を特定します。一方、もし改善がなければ次の可能性のある疾患を想定して治療をします。」
と説明してくれました。
私は
「先生、すみませんが、原因が分からない中で強い薬剤を体に入れることは、今はやはり嫌です。」と断り、「代わりにテンシロンテストで使用した内服薬を処方してくれませんか? もしそれ効けばビンゴですよね。それから考えます。」
と言いました。
先生は、
「分かりました。処方しましょう。私も患者さんの同意がなければ治療はできません。納得できない場合は無理にやらない方がいいです。 ただし、その薬が効くかどうかは分かりませんよ。先ほどのテストでの効果があまりにも短かったので・・・。実際に効果が乏しい人もいますから。」
と仰い、薬を処方してくれました。
そして又しても経過観察にして、次回を1週間後の予約をして帰りました。
正直、ショックでした
私は、上述した様に自己抗体の再燃が起こっていると考えていましたから、一番確率的に低いであろう難病の重症筋無力症の疑いになったことに正直ショックを受けていました。
(特異性抗体なし、症状での判定はグレー、そのため「疑い」です。)
アイスパックもテンシロンテストも明確な判定が出ていなくても、今までの経緯から推測すれば、その確率は高いと感じていました。
そのために私は内服薬の処方をお願いしたのです。
しかし、なかなか飲めない内服薬(メスチノン)
12/17の診察が終わり帰路につき、処方箋薬局に薬をもらいに行くと、その内服薬(メスチノン)が手に入りません。
薬剤師さん曰く「特殊な薬なので在庫がないです。だから取寄せにになります。」ということです。
確かにそうでしょう。10万人に数人のい難病です。
(現在10万人に約23人らしく、全国で推定3万人位の患者さんが居るそうです。しかもここ10年で倍近くに増えているそうです。)
そんな特殊な薬が簡単に手に入るわけがないです。
(後から知ったのですが、現在この薬の生産が止まっていて全国的に不足しているそうです。だから私も薬局から「今後は対応できません」と断られました。全国で多くの患者さんが困っているそうです。)
夕方、閉店前にやっと薬が手に入りました。
しかし、その夜は飲めませんでした。
そして翌朝も飲めませんでした。
どこかでまだ受け入れることができません、抵抗する自分がいました。
もう限界、入院を決めた日 12/18(木)
仕事に支障が出てきた 12/18(木)の午前中
翌12/18は、午前中にお二人の患者さんを治療しました。
このお二人には、私の症状につては以前から説明していました。
一人目の患者さんの治療が終わって領収書を書くとき、両目での視界がぼやけて上手くお名前を書くことが出来ませんでした。
仕方なく片目で何とか見て書きました。
いつもならそれぐらいは何ともないのに,なんか変、・・・やはり悪化しているのか?
そして二人目の患者さんが終わったときもおかしかったです。
いつもの様にカルテを書こうとしたら、何時までたっても視界がぼやけてズレが補正されません。
老眼鏡をかけて焦点を合わせやすくしても一向に改善しません。
仕方ないから老眼鏡かけて左目だけで見て複視を避けても、やっと二重のぼやけが減っただけでしっかり見えないです。
(このとき左右の目に眼瞼下垂が起こってますから薄目です。まともに見えるわけがありません。)
このとき、「あー、もう無理だ!限界だ。」と正直思いました。
仕事に支障が出はじめてはもうダメです。
「もう止めた方がいいぞ」と誰かに言われている気がしました。
このあと30分ぐらいしてやっと手元は見えるようになりましたが、今後こんな状態がいつまで続くか分からないいです。
もっと酷くなる可能性もあります。
もうこれ以上抵抗するのは無駄か・・・・くやしいけど諦めるしかありません。
私は、ようやく入院して治療を受けることを決めました。
はじめて内服薬(メスチノン)を服用した 12/18午後
この日の昼食後、はじめて内服薬(メスチノン)を服用しました。
先生からは
「注射と違い速効ではありません。20分ぐらいしてから効果が出てくはずです」と説明を受けていましたので、その後の変化を気にしていましたが、正直、変わりませんでした。
「あー、私には効かないのだろうか?折角、飲んだのだから症状が少しでも改善してくれればいいのに。」と思いました。
この日の午後からは、仕事を休むことにしました。
そして予約が書いてある手帳を見ながら、患者さんお一人お一人にご予約の取消のお願いのお電話をしました。
事情を知っている方には「入院します」と伝え、そうでない方には「体調を崩し暫くお休みします」と伝え、留守電の方にも同様に伝えました。
ただ、数名の方だけが、留守電にも繋がらなかったのでお休みすることを伝えられず申し訳なかったと思っています。
そして16時頃、ご予約の取消の電話が終わったので、病院に電話をして脳神経内科の主治医の先生に入院する旨を伝えました。
あとは、昼にはじめてメスチノンを服用したが変化がないこと、今、少し胃が気持ち悪いことを伝えました。
「あー、ビンゴだ!」ショックと同時に現実を受け入れる
そして、入院の準備をしていた18時です。
ふと、いつのもの様に時計を見たとき、その二つに見える時計のズレが小さくなっていることに気づきました。
周りを見渡してもズレ幅が小さくなってます。手元もちゃんと見えています。昼のようにぼやけていません。
鏡を見たら瞼が上がって目が眠たげでなくパッチリしてました。
そして右の上腕二頭筋の力瘤を作ってみたら、脱力してプニプニの軟らかいのでなく普通に硬くなってました。
私は握力計を取り出し早速測ると、右は34㎏まで上がってました。左は31㎏に上がってました。
一時は右28㎏、左26㎏まで下がった握力がほぼ正常近くまで戻ってました。
「あー、ビンゴだ!」と思わず声が出ました。
その結果にショックもありましたが、それとは別にホッとしたところもありました。
多分、原因がハッキリして、もう「なんで治らない?何が原因?」と悩まずに済むからからかもしれません。
さんざん悩んだし、半ば薄々感じていたこともあってか、結果がハッキリしたらむしろ腹が座りました。
「今からは少しでも回復することに心を向けよう」と言う気持ちになり、自分でも意外と直ぐに受け入れることができました。
今までさんざん足掻いてきました。自分の信念に従い治療を拒否してきました。
その結果、自分一人の力ではどうしようもないことは十分に理解したので、ここからは偏見を持たず現代医学の力を素直に借りて治そうと決めました。
それでも私は、
「私はただの患者ではない!鍼灸師だよ。いろいろな病を治してきた鍼灸師だよ。それも自分自身を一度は快方に向かわせることができた鍼灸師だよ。絶対に大丈夫に決まってるから心配は要らんよ!」
と自分に語ってました。
(実は、これが自分を苦しめている価値観の一つであることに後から気づくのです)
そして「神様から授けられた命という名の強く偉大な力を誰よりも知ってる」と自負する私は、「例え難病であろうとも必ず完治する」と心の奥で強く且つ静かに感じていました。
(実はこれが私の心と身体、そして人生を救う一番大切な価値観なのです)
病気はメッセージ
私が治ると信じる根拠は、肉体を治す技術だけではありません。
そもそも病気はメッセージです。
私がメッセージを受け取ったなら、この病気は治るはずです。
私が常々言っていることを私自身が実証すればいいだけです。
もし私ができなかったなら、今後私が患者さんに教えることなんて到底できません。
今、私自身がそれを試されているのです。
今回偶然にも、この秋から「気を高めて健康で幸せに生きるコツ」というチラシを患者さんに配り始めていました。
そこには常々私が話している「心の癒し方、愛するとはどうすること」を纏めたものです。
入院中は、自分が書いたこの紙のことを思い出して、しっかり自分の心を見つめ、私自身の中にある自分や他人を責める価値観を見つけ手放すこと。
そして、愛することの三要素「赦し、信頼、感謝」を実践し、本気で「自分を愛し他人を愛し心を癒そう」と自分に誓いました。
以上が、入院前夜までの回顧録です。
1/6現在、ここまでです。
今後は「入院編」「退院後編」を書く予定ですが、まだ一行も書いてません。
出来しだい投稿します。
【2026/01/07 追加】




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