これは考察②の続きです。
もう一つの気づきについて
私が今回の病気になって気づいたことのもう一つは、「傲慢」です。
私は常々、「病気はメッセージであり、患者さんがメッセージを受け取ったら改善します」と言ってます。
そもそも病気を治すのは、私の鍼灸ではなく患者さんが持っている自然治癒力です。
私の役目は、患者さんの中にある自然治癒力が十分に発揮できるように手伝うことです。
この手伝うことには二つあり、
その一つは、鍼灸で経絡を調えて患者さんが持っている自然治癒力の発揮を手助けすることです。
もう一つは、自然治癒力はとても強く偉大ですが、その発揮には心の癒しが必要であることを理解してもらうことです。そのために気の概念を説明し心の癒し方のコツを教えることです。
つまり、治療の主役は患者さんであり、私は脇役であるのです。
この考えは「病は気から、病気は体からのメッセージ」と謳ってから一貫しています。
私は患者さんの中にある強く偉大な力が治すと知っています。
私はこの力を信頼しています。
だから私はいろいろな症状の患者さんを受け入れるのです。
私が治すわけではないからです。
こんな風に書くと無責任に聞こえるかもしれませんが、でもこれが私の本心です
でも、残念なことに・・・、いや、情けないことに私は傲慢になってしまったのです。
今になって「私の鍼が治すんだ!」という恥ずかしい過ちを犯したのです。
良い見本という罠?
回顧録に書いたように、当初、私は今回の病気になったとき、入院を断り自分で治す方法を選びました。
その訳は、
- 今抱えている患者さんを放棄して30日以上も入院なんてできないと思ったことと、
- 自然治癒力の強さを知ってる私は30日もあれば十分治るだろうと思ったこと、
- 目も手元は見え手足は日常生活レベルであれば動いたこと、
- そして何より私自身が自分の力で治ることで患者さんに人間の持つ自然治癒力の偉大さを伝える良い見本になれると思ったこと、
です。
現に、自分での治療の効果が表れて一時は快方に向かいました。
そして私の病気のことを説明してあった一部の患者さんにもそのことを伝えたら、皆さん大変喜んでくださいました。
私も嬉しく良い見本になれたと本当に思いました。
しかし、そこに罠?がありました。
罠というより私の中の未熟さが露呈しました。
それが私の場合、上述した「傲慢」だったのです。
私は、自分でも知らず知らずの内に天狗になっていたのです。
私の鍼、私の治療は凄いだろう!私の言ってることは正しいんだぞ!という様な気持ちで症状の快方を自慢していたのだと思います。
(前回の考察①でも書きましたが、全ての人間が持つ本当の強さを忘れて、小さく薄っぺらな優越感に心が惹かれて、自慢する気持ちが生じたのでしょう。)
この有頂天さが私の気を下げました。
その結果、12月3日から症状が悪化し始めたのです。
当時、そのことが全く分からない私は、自分の症状の悪化に戸惑い、患者さんへの良い見本から悪い見本になることに気まずさや焦りを感じていました。
そんな気持ちでは私の気は高まることはありません。
いくら一生懸命に自分に鍼灸をしても効果は一向に表れてくれませんでした。
そして、とうとうギブアップしたのです。
どうして気づけたのか?
なぜ、気づけたのか?
それは、入院を決め、暫く間休業する旨をご予約の患者さんに電話をして伝え、全ての予約がゼロになったときです。
私は「ご迷惑を掛けてしまう、申し訳ない」という気持ちで一杯に、患者さんとお話したのですが、ご予約の全ての患者さんに伝え終わったとき、不思議と私の心がとても軽く楽になったのに気づいたのです。
あ~あ、俺は自分でも知らぬ間に患者さんの人生を背負っていたんだな~。
そんなことしちゃいけないのに。
そもそも出来ないことなのに。
俺の鍼が治すわけではなく、ただ手助けするだけなのに。
治すのは患者さんが持っている偉大な力なのに。
俺はそれを教えるだけなのに。
俺が居ても、居なくても関係なく、患者さんの心が癒えれば自ずと良くなるのだから。
あ~あ、知らぬ間に、俺は患者さんを俺の治療に依存させる方向に導いてしまったんだ。
イカン、イカン、これは大きな間違いだ。
私にとってはもちろん、患者さんにとっても大変良くないことだ!
こりゃぁ、訂正しなきゃあかんな!
と、やっと正気を失っていた自分に気づきました。
このように、私はご予約がゼロ、仕事が空っぽになり、やっと背負えないものを背負っていた自分に気づけたのです。
背負えないものを背負うことで心が押し潰れ、自分でも知らぬ間に自分を追い込んでいたのです。
有頂天という浮かれた気持ちが心を麻痺させて、この重大な過ちに気づけなかったのでしょう。
「傲慢はダメ」と頭では分かっていたけど・・・、性根では分かっていなかったのです。
治療に大切なこと
治療に大切なこと、それは謙虚さです。
「私の治療なんて・・・大したことはありません」って言う卑下ではありません。
(日本人がよくやりそうな態度ですが)
私が思う謙虚とは、自分の役目を理解した上で自分の力を精一杯発揮することです。
俺様の鍼が治すんだ!私は天才だ!ゴッドハンドだ!など、私から言わせれば傲慢な態度は、下の下です。
(もちろん、こういった傲慢と思える考えもアリです。いろいろな考え方、価値観があっていいのですから否定はしません。)
治療の主役は患者さんです。
あくまでも治療家は脇役です。
患者さんの中にある強く偉大な力を患者さんに気づいてもらうことが、難しい病を治すことに繋がるからです。
(人間は誰もが強いのです。決して弱くはないのです。ただ弱いと思い込んでいる人がこの世の中には大勢いるだけです。その弱いという誤解を解くことが治癒には大切なのです。このことを患者さんに気づかせるのが治療家の役目です。)
もし私があのまま自分の傲慢に気づかないまま病気が治っっていたのなら・・・、きっと嫌な鍼灸師になっていたでしょう。それは患者さんの為にならない勘違い治療師です。
でも、傲慢は気を下がりますから、私の症状の悪化は避けられなかったことです。
要は必然ということです。
もし仮に、私が傲慢に気づけなかったなら・・・、例え入院治療をしても、ほぼ完治というレベルまで奇跡的治癒が起こったかどうか分かりません。
傲慢のままなら・・・きっと鍼灸師として営業を再開できていなかったかもしれません。
奇跡的治癒は誰にでも起こること
今回、症状の悪化という形でメッセージが送られたから、私の中の傲慢に気づけました。
私は偉そうにいろいろ話しますが、でも、中身はただの人間です。
未熟なところがまだまだあ沢山あります。
自分のことですから、十分にその自覚はあります。
自覚はあっても巧妙に隠れているから中々気づけません。
しかし、人生を生きる中で起こる様々なことや病気で、その未熟さが露呈します。
だから、いいのです。
露呈するからこそ、隠れていることに気づけるのですから。
万事が良好で人生が平坦な道だけでは、自分の中にあるバカバカしい価値観や愚かな考えに気づけないのですから。
私は、やっぱり「病は気から、病気はメッセージ」と思います。
症状や病名に飲み込まれず、ちゃんとメッセージとして受け止め、自分の心を内観し気づけば病気は治ると思います。
人間の中には、神様から授けられた強く偉大な力があります。
それは誰の中にもあります。
持ってない人は一人もいません。
ただ、このことに気づけていなくて、弱いと思い込んでいる人が沢山いるだけです。
例え教えてもらっても、強いと信じない人が沢山いるだけです。
でも私は、奇跡的治癒は特別でなく誰にでも起こることと信じています。
ただし、一つの条件があります。
それが心を癒すことです。
あるがままの自分を愛し、自分と同じように他人を愛することです。
心が癒えたなら、あとは自分の中にある自然治癒力が治してくれます。
「治そう、治そう」と頑張らなくていいです。
その力を信頼して気楽にしていれば自ずと良くなっていきます。
長く長く3回にわたって書いた考察はこれで終わります。
こんな文章でも、少しでも誰かの役に立てることがあれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。m(_ _)m


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