【考察】なぜ私に奇跡的治癒が起こったのか? ②

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「【考察】なぜ私に奇跡的治癒が起こったのか?①」の続きです。

 

具体的にはどの様にしたのか?

では、ここからは私が実際にどのようにしていったのかを書いてみます。

ものがはっきり見えないので、入院中はテレビやネットは見られません。

点滴しながらベッドの上で二重に見える天井をボーっと見ていました。

それ以外は、窓の外のピカソの絵のような歪んだ景色をやはりボーっと見てました。

 

でも心の中では、心の癒しとして自分を愛し他人を愛することをしていました。

「愛する」を実践するにあたって重要な三つの要素として「赦し」「信頼」「感謝」を私は挙げています。それを実践したのです。
詳しくは、前の記事で添付した画像やPDFを読んでください。

「いいよ、大丈夫だよ、ありがとう」を心の中で相手に伝えていました。
実際に目の前に居るつもりで素直な気持ちで語りました。

 

対象は人生に現れた人全員です。

誰に対して行ったのか?

それは私の人生に登場した人たちです。好き嫌いは関係なしです。

身近なら、
家族、友人、知人はもちろん、当院の患者さんも、昔の彼女も、昔の友人、喧嘩した友人、子供時代の顔だけ覚えて名前を忘れた同級生も、もう亡くなった人もです。

ごく最近なら、
同室の他の患者さんも、主治医の先生も、看護師さんも、給食係の人も、ヘルパーさんにもです。

実際に出会ったことのない人なら、
テレビ出てる人、例えば政治家、芸能人です。

出会っても名前の知らない人なら、
先ほどすれ違った人、コンビニのお姉さん、窓の外に見える遠くを歩く人にもです。

この様に、これまでの自分の人生に登場した人に対してです。
その時、心に思い浮かんだありとあらゆる人に対してしました。

 

同じ人が何回も浮かぶこともあります。
そんなときは省略せず同じように語りました。

短い言葉のときもありますし、長く語るときもありました。
とにかく素直に正直に気持ちを語りました。

 

そして、中には私が相手を傷付けてしまったと思え後悔してる人も浮かんできます。
その方には「ごめんなさい」と謝罪もしました。

相手が許してくれるかどうかは関係ありません。
所詮は私の心の中の相手です。そこに拘る必要はありません。
ただ私自身が納得できるように素直な気持ちを語っただけです。

 

対象は人だけではありません

この「赦し、信頼、感謝、謝罪」は、人だけではありません。

人以外の生き物もです。
ペットの猫や犬もです。虫も植物もです。

物もです。
車やバイク、自転車も、思い浮かんだ物なら何でもです。

出来事もです。
仕事という出来事、入院という出来事、あのとき、あの一瞬の出来事、とにかく何でもです。天気も含め何でもです。

私の人生に出てきた、ありとあらゆるものに対してしました。

 

不思議な感覚を感じました

入院中のほとんどの時間をその様に過ごしました。
でも、不思議に長くは感じませんでした。
むしろ充実する感じでした。

 

目頭が熱くなること、涙が流れたこともありました。

すると心が徐々に軽くなってゆくのが分かりました。

自分の心が少しずつ浄化される感じがしていました。

それに伴い不思議と病気に対する心配や不安が消えていき、「大丈夫」という安心感や安定感も自然と生じてきました。

なんて言葉で言っていいか分かりませんが、自分の中にある生命力を感じました。

「あーこれが、私の中にある偉大なる力なんだなー」と漠然と思いました。

こんな風に心の中から余計なものを手放すと気づけるものがあるのです。

 

ただ、我々は、日常的にやらなければならないこと、考えなければならないことが有り過ぎて、日々生きるのに精一杯なため、全く気づけないのでしょう。

ここで書いても、これを読んでいる人に、私が味わった感覚は伝わらないと思いますが・・・、でも「ずーっと在ったんですよ。強く偉大な力が!私たちの内側に!」と強く言いたいのです。

できればその感覚を味わってほしいと思います。

 

病気はメッセージ、な~んも心配は要りません

医学的には原因不明という扱いになった今回の私の病気、「原因不明なら、この先はどうなるのか心配じゃないですか?」と時々尋ねられますが、そんなこと分かりません。

誰だって一寸先は闇なのですから。
これを読んでいる貴方にも、この先何が起こるか分からないのですよ。

未来は、良くなるか、悪くなるかは分からないのです。
だったら分からないことを考えても仕方ないと私は思ってます。

むしろ下手に心配しても気が下がるだけで何も良いことはありません。

 

だったら私は何も無かったかの如く、今まで通り普通に生きることにします。
その方が物事は上手くいくと私は信じています。

 

多分、先程の様な質問を抱く人が聞きたいことは、「もう一度症状がでたらどうしますか? 怖くないですか?」ということでしょう。

病気はメッセージです。
恐れるものではありません。

もしメッセージが届いたら「あっ!やっちゃった。自分や相手を愛することを怠った!」と思い出し、そこからもう一度「愛する」の実践を再開すればいいだけです。

そして再び心が癒えたらメッセージは自ずと消えますから大丈夫ですよ。と答えます。

 

健康に生きるため、私の言う「愛する」を日々実践し続けることは至難の業です。

私自身も忘れてしまうことは当然あります。これからもあります。

でもね、そんなこと心配しても仕方ありません。

大切なことは、私のようにあんな酷い症状でも劇的に回復する力が我々の中にあることを認めることです。

(傷付いた神経線維の異常に早い修復、医学的には回復しないと考えられている受容体の再生が起こったこと、これら全部が私たちの自然治癒力がなせる業です。メッセージを受け取れば奇跡的治癒は起こるのです。)

 

どの状況からでもなんとかなります。

だから、な~んも心配は要らないのです。

この気楽さ能天気さが、心の癒しには大切であり、その結果、再発を予防するのだと私は思います。

 

幸せも健康も自分次第

退院して1か月が過ぎました。
お陰様で体調は良いです。

目は右の視野にまだ少し二重に見える領域が残りますが、日常生活には何ら支障はありません。
(左は問題ないです)
首から下、つまり体幹や四肢は全くの正常になっています。

人生も体も心の投影。
幸せも健康も自分次第です。

例え世界がどんな状況であっても、私とは正反対の価値観の人が沢山居ても、そんな人々から否定されても、私が私を愛し、同じように全ての人を愛したのなら、私は健康で幸せな人生を生きることができると思ってます。

 

いつもの様に今回も長くなりましたが、以上が私の考察です。

 

追伸
入院中、ある一つの気づきがありました。
回顧録で書いたように、私は一度快方に向かってます。しかし何故か症状が悪化しました。その悪化した理由に気づいたのです。
この奇跡的治癒は、今回の話とその気づきの二つで起きたと私は思ってます。次回はその気づきを書きたいと思います。

(2026.02.15追記)

【考察】奇跡的治癒は誰にでも起こりえる! 完
これは考察②の続きです。もう一つの気づきについて私が今回の病気になって気づいたことのもう一つは、「傲慢」です。私は常々、「病気はメッセージであり、患者さんがメッセージを受け取ったら改善します」と言ってます。そもそも病気を治すのは、私の鍼灸で...
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