心配することは相手のためになっていません
相手を心配することは、
もし自分がその立場なら難しい、無理だ、大変だ、など
と考えていることです。
よくドラマなどで
「あなたが心配なんだ。」
というセリフを聞きますが、
これは、
「あなたを見ているとこっちが不安になり心が落ち着かないんだ。
なんでもいいから早く私を安心させてくれよ。」
と言っているだけなのです。
この様に考える私からすれば、
相手のことを想って言って訳ではないように聞こえるのです。
とっても自分勝手な言い草であり相手のためになっていないと
私は思っています。
では、なぜ相手を心配するのでしょうか?
人間は自分の心にある価値観、固定観念を通じて
経験している出来事を解釈しています。
相手を見ることで心に芽生えた不安。
実はこの不安は自分が心の奥に隠していたものです。
今まで生きてきた中で自分では克服していない
人生の課題のことです。
その人生の課題とは、生まれてから知らず知らずに
心に刻んできた自分を苦しめる自己否定の価値観・固定観念のことです。
課題を克服するためには、まずはそのことの存在を認め、
不安を安心する価値観に切替えるという心の作業をすることです。
この意識の切り替えをせずにいたために
相手を見ることで自分にとって未解決な課題を思い出してしまい
自分が不安になってしまったのです。
でも、普通はそのことが分りません。
その不安は、目の前にいる相手の問題として起こっているように
自分の目には見えてしまっているからです。
だから「この不安は、自分のものではないんだ。」と捉え、
自分の心の中を見直しすることをつい怠たってしまいます。
その代わりに、その問題に直面している相手に向かい、
先のように「早く何とかして私を安心させてよ。」
という身勝手な気持ちを心配するという形に変換し、
真の原因の自分の心の不安をカモフラージして先延ばしにさせてしまうのです。
益々自分の心を不安にします
相手をすぐに心配する人は、
このように自分の未処理の課題が原因であると気づいていないので、
そのことが分るまではいつまでも克服できません。
そのため心配することを次から次に見つけてきて
益々自分の心を不安にします。
たまたま心配事が解決しても、
直ぐにまた次の心配の種を見つけてきます。
原因である自分の価値観・固定観念を変えていないので、
いくらでも自分を不安にする出来事を探し出してくるのです。
そして自分周りは自分を不安にする人や出来事ばかりだ、
と思ってしまうのです。
◎長いので次の記事「他人(ひと)を心配する人 ②」に続きます。
(※これは2014年11月10日のブログ記事の転載です)
<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。