なぜ、あるがままを受け入れられないか?

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なぜ邪魔をするのか?

自己肯定している自分になれない。

あるがまま、と言っても、それに抵抗する自分がいる。

本当に大丈夫か?と言って疑がってくる。

なんやかんや不平不満や文句を言って邪魔をする。

 

こんな風に「あるがまま」を受け入れないのは、
それを本当にすると、
今までの自分が居なくなってしまうから、そのことが怖いから邪魔をするのである。

 

なぜ怖い?

じゃぁ、なぜ怖い?

そうすることで今までの自分、
そう、何十年と生きてきた自己否定を抱えた自分を消滅させてしまうから。

それが怖いのである。

だから、
私達は、無意識でそれを阻止しようとしているのである。

 

あるがまま、と言って、
否定を止め、全てを肯定し受け入れると、
その中身は、実は、自己否定の自分を否定することになる。

それは今までも否定的な生き方と決別して、
今から肯定的に生きることを宣言することになる。

このことがどうしても納得できないのである。

 

究極の自己否定!?

究極の自己否定、いままでの自分との決別。

それが自己肯定である。

それは無意識では辛いこと。
今までの自分を否定することだから。

 

自分を信じられず、責め、受け入れることが出来ない自己否定の自分から
自分を信じ、あるがままを受け入れる自己肯定の自分になることは、
言い換えれば、別の人格になることでもある。

姿、形、外見は同じでも、
人として中身がガラリと生まれ変わることでもある。

今までの個性が、別の個性に変わることでもある。

それは、生き方、言動、趣向等も変わることもあるかもしれない。

 

このことを無意識で気づいている自分が心の奥に居る。

そいつは、まだまだ自己否定を継続中の自分である。
この自分にとっては、これらの変化がとても荷が重いことなのである。
そして消滅してしまうことが何よりも怖いのである。

だから無意識で抵抗するのである。

 

自己革命

もし、自己否定をこれまで通り続けるのなら、
今までの自分とは決別することはしなくて済む。

それはある意味、安泰でもある。

しかし何も変わらない。

心の苦悩は今まで通り続くことになる。

 

本当に幸せに生きたいのなら、自己革命は要る。

今までの自分との決別という意志と勇気がいる。

 

自分を信じ、あるがままを受け入れ生きるための
これが唯一の必要条件である。

 

 

あなたはどう生きたい?

自分自身にもう一度問うてみること。

「私は自分を信じ幸せに生きたいの? それとも安泰していたいの?
 但し、この安泰は偽りの安泰だから今まで通りの苦悩は続くよ。」

 

あなたは、これからどう生きたい?

そもそも自分を変えたい!と思っていたのではなかったのか?

自分を変えるとは、
今までの自分(自己否定の個性)が消滅することでもあるんだよ。
ただ、この消滅は怖いことなのか?
むしろ喜ばしいことではないのか!
このことを踏まえて、もう一度考えたらいい。

 

もちろん、絶対に自己肯定にならなければならないことはない。

今まで通りの自己否定のままでもいい。

 

誰の人生でもない、自分の人生である。

どちらの自分を選ぶのか!その決断をするのは自分である。

時間はたっぷりある、ゆっくり考えればいい。

 

 

以上、2018.07.17 今日のひとりごとです。

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

 

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