しなければならないことなんて無い

この記事は約6分で読めます。

自分の本心に嘘をつく

心は自由なら、そこには一切の制限はない。
だから、「しなければならないこと」はない。

ただ、自分が「したい」から「する」、
「したくない」から「しない」ということだけである。

そこには自分の意思が必ずある。
自分の意思だからこそ誰の責任でもなく、
全てが自分の責任でするのである。

しかし、物事を行う動機を
「しければならないから」と捉えることには、
自分の意思とは逆の意思があり、
「本当は自分はしたくないが、
 その様にすることに決まっているのだから
 仕方なくするんだ」
と自分の本心とは違う価値観が動機となっている。

これでは、自分の本心に嘘をつくことになり、
ガマンや自己犠牲が心の中に生じてしまう。

 

見返りが欲しい

ガマンや自己犠牲、そんなことは長くは続けられない。
ガマンをすれば、それに見合った特別な見返りが欲しくなるもの。

その見返りは、高額な金銭や特別な物であったり、
地位や権力、名誉であったり、賞賛や感謝などが必ず欲しくなる。
そうじゃないと納得させることはできない。

私なら完全な無償でガマンや自己犠牲をし続けることは絶対に無理だ。

 

感謝したくなる

だが、どんなことであれ、
自分の意思でしたことなら特別な報酬はいらない。

人間は、したいことをすることが幸せなことなのである。
逆に、したくないことをすることは不幸である。

ならば、自分がしたいことをすることだけで、
それ自体が幸せなのだから特別な見返りなんて求めない。

むしろ、
したいことをさせてもらったのだから
感謝の気持ちが自然と湧き出てくるものだと思う。

「したいことが出来て私は幸せです。
これも全てあなたのお陰です。皆さんのお陰です。

 全てに感謝したい気持ちです。本当にありがとう。」
と言いたくてたまらない気持ちになると思う。

 

どんな結果でも受け入れられる

「したいからする」といっても、
前述のように感謝が自然と湧き出てくることばかりではない。

「この方がいい」と自分の意思でやっても望まない結果になることもある。

人生ではむしろ望まない結果の方が多いだろう。

「しなければ」という気持ちでやったことなら納得なんてできないし、
結果を受け入れることなんて直ぐには到底できない。

誰かの責任にしなければ、自分の心の苛立ちが収まらないというもの。

でも、
「したいからしたんだ」と自分の気持ちに素直にしたことなら
どんな結果になっても受け入れられる。

例え望まない結果になっても受け入れられる。

「自分で決めたこと、誰かの責任にすることはできない」
と自分が一番知っているのだから。

結果を自分が受け入れたのなら、
そこから人生はまた前に進み始める。

しかし、受け入れられないと、
いつまでも心はそこに留まり続け、
留まり続ける時間だけ心の苦しみが増してゆくだけである。

 

自分に素直に正直に生きる

自分の人生の全ては、自分が責任を負うしかない。
誰も代わりに生きてはくれない。

ならば、自分に素直に正直に生きるしかない。

「しなければならないからする」なんて捉えるのでなく、
「したいからする」、「したくないからしない」と生きた方が気持ちいい。

 

心の自由への気づきは内なる変化

それでも、
「人間には『しなければならないこと』がある。
 『したいからする』『したくないからしない』
 これは身勝手な人間の考え方だ。」
と思う人はいるだろう。

私はそう言う考え方に反対はしない。
それも無数にある考え方の一つなのだから。

人の数だけ価値観があり生き方がある。
私の価値観が理解されなくても全く構わない。
価値観に正誤はないと思っているから。

それが「心は自由、あるがままでいい」ということだから。

ただ、心の自由ということは、決して行動のことではない。
そこを勘違いしてはいけない。

行動はむしろ今までと同じであることの方が多い。

心の自由とは、そう内面の変化のことだから
他人が一見してその内なるに気づくことは少ないだろう。

しかし、なんとなく雰囲気の変化を周りは感じるかもしれない。

 

具体的な変化があるはず

きっと明日の朝も今日と同じ様に会社に行くだろう。
もし、そのとき「行かなければ」ではなく、
「行きたいから」に自分の気持ちがなっていたらどうだろう。

「俺は働いてお金を稼ぎたいから会社に行んだ」
という気持ちがなっていたらきっと気分はいいと思う。

そうなるには、
「会社なんて嫌ならいつでも辞めることはできる。
 いつでも新しいところに行くことができる。
 そんな自由が自分にはある。」
考えることが自分には出来るんだ、と気づくことである。

これが自分の心にあった常識
「生活の為、働かなければならないんだ」という制限を外した価値観である。

ただ、
景気が悪いから、もういい年齢だから、資格が無いから、家族が心配するから、

と言って自分の心に、可能性に制限を掛けないでほしい。
先にも書いたように、
「心の自由は決して行動のことではない」ということを思い出してほしい。

大切なことは、
もし、この様に思えたなら、要らぬプレッシャーを自分に掛けないで済む、

ということである。

もし、自分の心を縛る価値観が外すことができたなら、
物事を見る心の視野が広がっているから多面的な思考ができ、
今までより良い結果を得やすくなる可能性がでてくるのである。

ならば気持ちよく仕事が出来き、同じ会社なのに違って感じるかもしれない。
毎朝嫌々通勤していた自分が、ひょっとして明日以降はそうでなくなることは
十分にありうると思う。

またまた長くなったけど、ここまで読んで、
「こんな風に簡単に変わるもんか」と、これをバカバカしい絵空事と思うか、
それとも、
実際に起こりうる事はあると捉えるかは、各々の自由な判断に任せます。

 

 

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました