類は友を呼ぶ。 いい意味でも、悪い意味でも、お互いに引き寄せ合う

この記事は約3分で読めます。

「自分を愛し、相手を愛する自分になること」の続きです

 

類は友を呼ぶ

気が合う、

それは、気持ち、価値観が近い者は、
お互いに引き寄せ合うということを意味している。

いい意味でも、悪い意味でも
「類は友を呼ぶ」ということである。

 

自分を愛せば、
同じように自分を愛することができる他人が、
自分の人生に現れる。

 

家族など同じ人物の場合なら、
その人達も善い影響を受けて
自分自身を愛する人に自ずと変わってくれるかもしれない。

ならば、
お互いに心に余裕のある者同士だから人間関係は上手くいく。

 

一方、自分を責めれば、
同じ様に自分を責めている他人がやって来る。

ならば人間関係は上手く訳がない。

いずれも必然である。

 

水と油

自分を愛する者と自分を愛せない者は、一緒にはいられない。

 

それは、お互いに水と油の関係だからである。

 

この場合は、通常、自分を愛せない者が自ずと去ってゆく。

なぜなら、心に余裕がない方は、
心に余裕のある者の傍では不愉快な気分になり、
心が苦しくていられないからである。

 

去っていく相手をあるがまま愛すること

こういうときは、
その人をそっとしておくことが最善である。

下手に追い掛けたりすると益々追い込むことになり、
状況は悪化するからである。

 

こちら側ができることは、
正しく、その人をあるがまま愛することだけである。

「いつかは自分自身を愛するようになる」と信じて、
静かに末永く待つことである。

 

 

自分にとって大切な人ほど気をつけること

もし、焦って、相手をこっちに向かせようとしたのなら、
それは相手を信じていないことである。

 

そう、相手を愛していないことである。

 

つまりは、
その瞬間から自分自身を愛さなくなったということであり、
そこから全てが悪い方向に流れる始めることになる
と知っておくことは大切である。

 

特に、家族や自分にとって特別な人の場合は、
このことをついつい忘れてしまい、
心配する余りに相手をこっちに向かせようとしてしまうから、
要注意である。

 

自分を愛するか、愛さないか、
私達は、人生の中で、このことをいつも問われている。

どちらを選ぶかは自由、全ては自分次第である。

幸も不幸も全て自分次第である。

 

終わり

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました