類は友を呼ぶ ②

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(※これは2014年06月25日のブログ記事の転載です)

◎前の記事「類は友を呼ぶ ①」の続きです。

 

それでは、どうすれば相手に自分を理解させることはできるのでしょうか?

一つ言えるのは「相手から理解される」とは、求めたり、意図的に仕向けたり、ましてや強要することで得られるものではないということです。

 

先の記事「あなたの心の真実・・・」でも書きましたが、相手の真実を100%理解することはできませんが、それでもこちら側が「相手のことを知ろう、理解しよう」という気持ちを持つことから始まるものです。

そのためには、相手を許容する気持ちと、自分の考えを伝ても受け止め方は相手に任せるという信頼する気持ちが必要です。

時間が掛かることですが、これらが自分に出来たとき相手もこちらのことを理解しようと考えるかも?しれないのです。

 

あくまでも相手の気持ち次第ですから、努力をしてもこちらの要望通りなるとは限りません。
だからと言ってガッカリすることはありません。

元々、相手に理解を求めた目的は、相手の言葉で自分のイライラした心を治めるためにはじめたのです。

でも、相手を否定せず許容し信頼しようとする意識は素晴らしく、争わないが故に心は安らぎと平和を得ていると思います。

だから理解されなくても充分に目的を達したことになると思います。

 

この様に、批判的な相手に理解を求め続ける限り、相手と自分は価値観が違っても、残念ながらこの点に関しては同類ということになるのです。

類は友を呼ぶものです。
「気が合う」という言葉通り、気には周波数があります。
良いも悪いも自分と気が合う人を引き寄せるのです。

人間は自分の心の中で抱いている考え、固定観念に合った周波数の気を自分の周りに常に放っています。
この気を雰囲気と言えば分り易いかもしれません。
自分が放っている雰囲気が知らず知らずに同類を呼ぶのです。

 

自分の人生に他人に批判的な人を呼び込んだのは自分なのです。
他人から批判されることを言われてしまった原因は自分自身にあったということです。

もし、自分自身に対して和解をしていれば、こんなことにはならなかったかもしれません。

 

◎この続きは次の記事「自分自身との和解 ①」になります。

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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