自分自身との和解 ①

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(※これは2014年06月28日のブログ記事の転載です)

◎前の記事「類は友を呼ぶ ②」の続きです。

 

まず始めに私が言う「自分自身との和解」とは?

自分の全てを赦し自分を信頼すること、あるがままの自分を愛することです。

自分を責めることを止め自分と仲直りできた人、自分を好きになれた人、自分の本当の強さに気付いた人です。

このブログでクドクド何度も書いていることです。
これが私が言う「自分自身との和解」です。

 

自分自身と和解できている人は、「人それぞれ価値観は異なるもの、自分の考えは沢山ある考えの一つに過ぎない」と謙虚に考えることが出来きて批判的にはならないと思います。

もちろん人間ですから間違いや失敗はあるでしょう。
でも、意図的に人を傷付けることを言うことはないと思います。

そして、この様な人に対しては言い訳などする必要はなく、きっと穏やかに話を聞いてくれる優しく余裕のある人であると思います。

前の記事の「相手を理解しよう」とする人でもあるのです。

 

ところで、
前回の記事の「他者に批判的、他者に強く理解を求めたがる」人は、この人たちは自分自身と和解が出来ていない人であると言えます。

こういう人は、無意識のレベルで自分を責め自分の力を疑っているため、常に心に漠然とした不安があるのです。

 

やっかいなことに無意識のレベルであるため、自分でもそのことに全く気付かず、自分の不安の原因を他者に求め、その不安を軽減するために自分の考えに同意や理解を求めるのです。

そして、自分が望むような反応を相手がしないとき、自分が否定された感じがして、そのことから自分の心を守るために自己防衛で価値観の違う相手を批判、非難するのです。

 

このように、相手を批判しているときには相対的に自分に正当性を感じられます。

そのことで相手が間違った劣った人間に見え、その反対に自分が正しく優れた人間であるかの様な錯覚に陥ります。

これは手軽に自分の心の不安を忘れさせ気持ち良くさせますので、これに味を覚えると中々止められなくなり益々批判的、独善的になります。

そして、このことで自分を責め疑う意識を心のより深いところに隠してしまうので、自分を苦しめる真の原因に気付くのが一層遅れてしまうのです。

 

悟りを開いた聖人や仙人でもない限り、誰にでも大なり小なりこの傾向はあるものです。

ただ、この傾向が強いと人間関係でトラブルが起こり易くなってしまうのです。

 

◎長いので次の記事「自分自身との和解 ②」に続きます。

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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