〇を点けることは、ピリオドを打つことでもある(過去に執着しない)

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全てに〇を点けることは
その結果を認め、それをサッサと手放すことである。

そして〇を点けることは、
「OK!、これはこれでいい、かまわんよ!」
と言うことだけでなく、

「。」(ピリオド)を打つことでもある。

「もう終わったことなのだ!」
とそこで区切り物事の終了を自分に意識することある。

自分にとって良くも悪くも
どんなことに対しても執着をすると、
心が過去に囚われてしまい
今と言う瞬間に前が向けなくなっている状態になる。

これでは、人生に現れる次の良いチャンスに
気づくことが遅れるか、
もしくは全く気づけないことになりかねない。

この過去への執着が過ぎれば
人生の流れに対して逆らっていることにもなる。

 

もちろん
「人生にはチャンスは何度でもやって来て
 何時からでも取り返すことが出来るものだ!
 一つや二つのチャンスを逃しても全く焦ることは無い!」
と私自身は思っているが、
それでも折角のチャンスを遅らせることは
勿体ないものである。

 

しかし、執着してしまう者は、
この「チャンスは何度でもやって来る」と考えることは
出来ないものである。
(まぁ、出来ていたら執着なんてそもそもしないはずである)

だから自分にとって好ましいこと(成功や称賛)に
いつまでも気を奪わてしまい、
気づいたときには人生の流れが悪くなっているのである。

そして
「なんでこんな風になったの?」嘆くのである。

 

だから、
サッサと過ぎたことは手放すことである。

好むこと好まないこと関係なく、
その両方を心の中で手放すことである。

「なんで?どうして?」と言っている内は
過去に囚われていると気付いた方がいいし、
表向きは自分を信じてると思っていても、
心の奥からは信じていない証拠である。

 

歌にもあるように人生は川の流れのようなもの、
時間は流れ進んでゆく、止めることはできない。

ならば
「これはこれでいい」と言って
物事にピリオド「。」を打ち、
心を前に向けて人生の流れに乗って進むことである。

 

幸せでいたいと願っているのなら、
誰もがその時の最善の選択をして生きている。(※1)

そして
どんな結果であれ最善の結果が起こっている。(※2)

それが期待外れであっても、
望まないものになっていたとしても
そうなのである。

だから、今、ここでピリオドを打って、
心を前に向けて人生の流れに逆らわず、
自分を信じ、自分に素直に正直に、
自分の歩幅で進んで行けばいいのである。

 

 

参考:過去の記事
(※1)「誰もが最善を選択して生きている」
(※2)「人生に起こることは全て最善なことばかり」

 

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このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

 

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