心に響いた考えに責任を持って生きること

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◎前の記事「相手を頑固者と思うとき ③」の続きです。

 

自分の代わりに人生を生きてくれる人はいない

自分の心が響き同意してしまったのなら、
そこからはその考えを自分の考えの一つとして責任を持つ必要がある
と思います。

それは、誰もが自分の人生に起こったことの責任を
取らなければならないからです。

自分の代わりに人生を生きてくれる人はいないからです。

良いことも悪いことも
何が起ころうとも受け入れるしかないからです。

 

良いことだけは自分の力のお陰、
悪いことは誰かのせいであり自分の責任ではない、
というように都合よくはいかないのです。

悪いことを全て周りのせいにして言い訳ができても、
それでも自分自身で責任を取り受け入れるしかないのです。

地位や名誉といったプライドや
仕事やお金に関ることだけでなく
自分の肉体や命に関ることでもそうなのです。

 

このことは、
生まれたばかりの赤ちゃんも、
たとえ胎児であったとしても、
100歳になるお年寄りも、
この世に生きている以上、生命として存在している以上、
誰もがそうなのです。

厳しいですが、これが現実なのです。

 

自分次第

だったら、この現実を認めて
自分で責任を持って生きるしかありません。

 

人生を諦めるのも、諦めないのも自分次第です。

人や社会のせいにするのも、
運命や神のせいにするのも自分次第です。

そして、あるがままを受け入れ、
自分を信じ自分の心に素直に正直に生きるのも、
生きないのも自分次第です。

 

自分が選んだのだから

自分を信じ、自分の責任の下、
自分に合った考えを見つけ、
それに正直に生きたのなら、
どんな結果になろうとも後悔することはありません。

たとえ時間が掛かっても、いつかは
「自分が選んだのだから」と必ず受け入れられるはずです。

 

受け入れることができたのなら、
そこからは誰かのせいにもする必要はなくなるので
心は苦しみから解放され清々しくなれます。本当です。

この自分への信頼と責任が、
赦しに繋がり心の癒しになると私は思います。

 

同意をした以上、そこからは自分の考え

「あの人がそう言ったから私は従っただけ。
 親が、学校が、会社が、社会がそうだから従っただけ、
 私には責任は無い。
 全部あの人のせいでなんだ。全部周りのせいなんだ。」
とは考えないことです。

そんなことをしても心は晴々しません。
苦しみがいつまでも続くだけです。

 

習慣や慣わし、一般常識、倫理観、道徳観なども含め
誰のどんな考え方を信じようとも、
それを自分が選び信じてしまった以上は、それに同意したことであり、
そこからは全部自分自身の責任なのです。

だったら、
自分の心に響いた考えに従って
自分に責任を持って生きることが望ましい
と思います。

 

人生に答えなんて決まっていません。

人生で起こる出来事に対して
「これでいい。」
と言うことができる人は自分以外にいないのです。

 

人は人、自分は自分。

自分で自由に考えを選び
心を自由に生きる権利が誰の中にもある、と私は思っています。

 

終わり

 

(※これは2015年02月20日のブログ記事の転載です)

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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