厚顔無恥と思えるくらいで丁度よい

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(※これは2008年05月28日のブログからの転載です)

 

厚顔無恥・・・・あつかましく、恥知らずなこと

ご存知の通り、人を誉める言葉ではないです。

でも、私は結構この言葉は好きです。

 

厚顔無恥・・・・私は、それを誉め言葉とあえて解釈したいです。

何故なら、
自分に正直に、素直に行動したことを意味すると思うからです。

 

ここで言う「恥」とは世間、他人からの評価のことです。

現代人は、他人の目を気にするあまり自分を蔑ろにしてしまう。

「どう私は見られているのだろう。」

「こんな事言ったら変だと思われないか?」

「KYだろうか?」

などと、自分より他人の評価、他人の価値基準を大切にし、
自分の気持ちを見失うことが多いです。

大切なのは、自分がどう感じ、どう考え、どう行動するかである
と思います。

 

自分の行動の間違えに気付き、自分の基準で「恥」を感じたら・・・・、
その時に、直せばいいと思います。

迷惑を掛けたと気付いたなら・・・・、
そのとき素直に謝ればいいと思います。

 

他人の目を気にして生きる事はないです。

自分の人生は、自分ものです。

誰もが、自分の人生を自分の意思で行動しているのです。

 

因果応報、

自業自得、

人生の出来事は、良いも悪いも、その責任は自分がとるのです。

他人が、世間が、自分の人生の責任を取ってくれる訳ではないのです。

 

ならば、自分に正直で素直でありたいです。

他人の価値基準で生きるのはゴメンです。

「私は厚顔無恥である」
・・・・私は、それを良い言葉として自分自身に言っています。

何故なら、自分に正直に、素直に行動したことを表していると思うから。

 

決して、
「他人への迷惑を無視し、他人を傷つけて、身勝手に生きる」
という事を勧めてる訳ではないので誤解のないように。

他人の目、評価、世間の基準が気になるストレス社会を生きるには、
自分自身を厚顔無恥と思えるくらいで丁度よいのだ、と私は思います。

 

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