”生かされている”だけではなく”生かしている”

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(※これは2014年08月22日のブログ記事の転載です)

 

”生かしている” ことも事実

人間、一人では生きることはできません。

誰もが周りから生かされています。

しかし、生かされているだけではありません。

誰もが自分以外の全てに対して
”生かしている” ことも事実なのです。

 

自分が生かされているだけなら、
そこから自分に対して価値を見出すことは難しいです。

人によっては、生かされていることを過剰に意識することで、
謙虚さを通り越し自分を卑下して責める場合もあります。

でも、自分が存在しているだけで
誰かの役に立っていると気づいたら、
そこに自分の存在価値を認めることができるはずです。

自分への信頼、自分への愛、自分の素晴らしさを
感じることができると思います。
そして自分への愛は、自然と他者への愛になっていきます。

 

つまり、
”生かされている” と謙虚になることは大切ですが、
同時に
”生かしている”=”役立っている” ことにも気づいた方がいいと思います。

 

ただ、生きているだけで

人間、誰もが自分一人で生きてはいけません。

これが事実なら、
この世にいる人間の全てが
お互いがお互いを支え合っていることも事実です。

言い換えれば、
我々は自分以外の存在から生かされているだけでなく、
生かしてもいる、ということになります。

 

この関係は、人間同士だけでなく、
あらゆる生き物の間でも言えるのです。

そして、生き物に限らず、地球全体、
更には未知なる宇宙全体に対しても言えるはずです。

今日一日、いつもと変わらず何気に過ごしていても、
直接的にしろ、間接的にしろ、どこかの誰かに支えられ、
そして、どこかの誰かを支えているのです。

我々誰もがそうなのです。

生きとし生けるもの全てが、”ただ生きているだけ” で価値ある存在なのだ、
と私は思っています。

 

 

どんな関係も対等で平等

一見、患者と治療師(私)の関係は
上下関係、主従関係の様に見えますが、
本当はそうではありません。

患者さんからすれば、
自分の病気を治してくれる治療家は、ありがたい存在かもしれません。

しかし、私達治療師からすれば、
患者さんが治療を受けてくれるから
治療師は自分の技術を発揮できる機会を得られ、
なお且つ、お金も貰え生活できるのです。

私が患者さんを助けているように見えますが、
実は患者さんも私を助けているのです。

お互いがお互いを支えているのです。

 

人間、誰でも患者という立場になれば、
心身共に弱い状態だけをイメージしますが、
それでも誰かの役に立ち相手を支えているのです。

少なくとも、私の生活、私の人生を助けているのです。

 

治療というものに上下も主従関係もありません。
治療師と患者さんは対等、平等なのです。

このことは医療に従事する者全員に言えるのです。

お互いの人生というドラマにおける
”治療” という一場面での役の違いだけなのです。

ここでも お互いが、
”相手から生かされ、相手を生かしている” の関係なのです。

 

 

誰もが役を演じているだけ

先の治療の場面だけでなく、この他の人間関係も同じです。
誰もが人生ドラマの一場面で、お互い役を演じているだけです。

 

親は子供がいるから親の役がやれるのです。
(子供がいるから子育てがやれるのです。)

妻は夫がいるから妻の役がやれるのです。
(夫がいるからかわいい妻でいられるのです。)

先生は生徒がいるから先生役がやれるのです。
(生徒がいるから教えるという仕事ができるのです。)

弁護士はクライアントがいるから弁護士役がやれるのです。
(困っている人がいるから知識を使って役立てるのです。)

政治家は国民がいるから政治家役がやれるのです。
(政治家や官僚が国を動かしているのではありません。
国民がいるから国があるのです。)

王様は国民がいるから王様役がやれるのです。
(王様一人だけなら威張っても虚しいだけです。)
……etc

 

これらはひっくり返しても同じです。

子供は親がいるから子供の役がやれるのです。
(親がいるからご飯を食べれて勉強や遊びやスポーツができるのです。)

夫は妻が……。
生徒は先生が……。
クライアントは弁護士が……。
……etc

 

もしこの世に自分だけしか存在しないのなら、
誰もがどんな役も演じることはできないのです。

神様ですらそうなのです。
人間がいるから神様役をやってられるのです。

この世に誰も何もなかったなら、
神様役をやることはできないのですから。

 

皆が皆、同じなのです。

お互いがお互いのために存在しているのです。

誰もが、お互い様の関係なのです。

 

 

様々な役を様々なキャラクターで演じている

誰かがいなければ、自分は存在出来ないのです。

自分が何なのか?が分らないのです。

相手がいるから ”自分が何なのか!”を決めることが出来るのです。

 

親がいるから私は息子の役をやれるのです。

患者さんがいるから私は鍼灸師をやれるのです。

話を聞いてくれる人がいるから私は得意気に話せるのです。

この世に女性がいるから私は男性でいられるのです。

他の生き物がいるから私は人間として生きているのです。

そして、今いる立場の役で
どんなキャラクターでいたいのかを自分で決めているのです。

 

そのキャラクターとは、
優しい息子?、それとも冷たい息子?
明るいてポジティブな鍼灸師?、それとも暗くてネガティブな鍼灸師?
紳士的な男?、それとも下衆な男?
地球や環境にやさしい人間?、それとも万物の霊長だ!と威張った人間?
ということです。

この様に人間は、
日々生きる中で状況や相手に合わせて、
様々な役を、自由に好きな個性を演じることで
自分の人生を創っているのです。

 

ひょっとして、中には、
好きじゃないキャラクターを無意識に
演じている人もいるかもしれません。

そんな人には、与えられた役を
自分らしいキャラクターで素直に演じることをお勧めします。

自分はネガティブなキャラクターだと決め込まずに
遠慮なく素直に好きな自分に変えればいいのです。

 

 

相手がいるからこそ

自分の人生というドラマは、
自分以外の存在がいるからこそ出来るのです。

だから、自分以外の全てに対して感謝が出来るのです。
ありとあらゆるものに感謝できるのです。

 

そう考えると日常の争いごとなんて、
ちっぽけなことであると思えてきます。

相手との違いを理由に
相手を攻めて争そうことの愚かさを感じます。

特に政治でのイザコザ、国と国の争いなんて
バカバカしく思えてきます。

 

我々は相手がいなければ誰も生きていけないのですから。

相手がいるからこそ、
自分の存在価値や生きていることの意味を知ることができるのだから。

 

立場の違いは、役の違いを作り、
価値観の違いが、役柄にキャラクターを生み、
様々な人間関係を通じて、自分の人生を面白く創っていくことなのだ、
と私は思います。

 

 

価値の無い存在はいません

故に、我々は、
”生かされている” だけではなく、
”生かしている = 役立っている” のだ、
と私は思うのです。

だから、価値の無い存在は、一人も、一つもいません。

誰もが、今生きているだけで、
ありとあらゆるものが、今存在しているだけで、
素晴らしい価値があるのです。

 

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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