赦しは「我慢」や「許し」ではありません

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(※これは2014年12月27日のブログ記事の転載です)

 

赦しは、決して我慢することではありません

我慢は苦しいです。
自分に無理を強いていることです。
自分の本心に嘘をついていることです。

赦しは、「許し」ではありません。

この二文字は辞書的には同じ意味ですが、
若干ニュアンスが異なります。

許しは、立場が上の者が、下の者にに対して罪を
「許してあげよう」という意味合いで使うものです。

 

しかし、私がいつも話している赦しは、
上からの立場で「許してあげよう」ではないのです。

責めないということです。
罪を問わないということです。

自分に対しても相手に対しても
批判、非難をしないということです。

あるがままを認め、全てを受け入れることです。

 

過去の記事を参考にしてください

このような赦しが出来るには、
人間の本質、中身を信頼していなければできません。

そして信頼するには、
先回の記事「人間、中身(本質)は同じ、違いはない!」
にも書いた様に人間の本質を理解し、
誰もが同じであることを認めることです。

 

また、「本当のポジティブとは・・・」でも書いている様に
誰もが既にあるがままを受け入れている事実に気づき、
自らの素晴らしさを認識することです。

 

旧ブログ記事(旧HP前期)の「あなたの心の真実を知っている・・・」の中の
特に「加害者も被害者もいない」なども
もう一度読んでください。

私が勧める「楽」という概念も、
その真意は赦しをすることと同じなのです。

私の拙い文章力で分かりづらいと思いますが、
他にも長々と色々書いています。

”かたち”に囚われない見方が出来るように
今一度、赦しについて考えてみてください。

 

もし苦しさを感じるなら、

こう書くと、とても難しことをするように思え、
それだけで苦しさを感じる人がいると思いますが、
それは大きな勘違いです。

苦しさとは、まったくの正反対です。
赦しを理解て実践すると心は楽になります。

 

どんなことも慣れない内はぎこちなく中々出来ないものです。

しかし、それでも続けて実践すればするほどに
必ず上手くなり心は楽になれます。

 

もし実践することで苦しさを感じるなら、
その人は、上記に書いたように
赦しを「我慢」や「許し」として理解している人です。

この固定観念こそが、自分を苦しめていると気づくべきです。

そして、気づいたのなら
まだ固定観念が切り替わっていないことを責めるのでなく、
「気づいてよかった。焦ることはない。いつかはできるよ。」
と、自分を信頼し、出来ていないこと自体を必ず赦してください。

これこそが、赦しの実践です。

ここから切替えは始まりますから。

 

赦しは、優しさ、愛の表現なのです

何度も繰り返しで申し訳ありませんが、

赦しは、全てを受け入れることです。
大きな大きな寛容です。
否定はしません。

赦しは自由です。
全てを受け入れることは型に嵌めません。

赦しは責めません。闘いません。
全てを受け入れているのだからそんことはしません。
平和なのです。

 

赦しは心の解放です。

赦しは優しさです。愛です。温かさです。平和です。

赦しは平等であり、そして個々の違いを認めます。

 

まずは、自らに赦しをしてください。

自らに出来たら自然と周りに対して出来ますから。

 

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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