赦すことは我慢することではない ①

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(※これは2014年03月27日のブログ記事の転載です)

 

赦すことを我慢することだと思っている人がいますが、
それは全くの間違いです。

決して我慢することではない、と私は思います。

心の中では相手に腹を立てていても、
一生懸命に自分を律し、表情に出さず
上辺だけで優しく相手に接することをしている人は沢山います。

こういう人は、
赦すこと、優しくすることは
人間として当り前のことなんだ、と考え
義務として自分に無理を強いているだけなのです。

そして
「私が赦しているのだから、
あなたもそれに見合った対応をしてください。」
と自分の努力と同等のものを相手に対しても
要求する気持ちを心の中に生じさせてしまうものです。

 

これに対して相手が感謝などをしてくれて
自分の期待通りの反応してくれればいいですが、
そうでない場合は、
折角の努力(我慢)が一転して相手への怒りへと
変わってゆくこともおこります。

でも、
「やっぱりそんなことを思ってはいけない」
と考え自分を責め、再び自分を律し、
多くの人はまたまた我慢をしてしまいます。

こんなことをずーっと繰り返せば
心は徐々に疲弊しいつかは病気にもなってしまいます。

 

私が推奨する赦しは、心の解放、心が楽になることです。

一方、我慢は苦しみであり、
決して心に解放感や楽になることを味わうことはないです。

益々苦しくなる赦しは、責めであり赦しではないのです。

 

長いので次の記事「赦すことは我慢することではない ②」に続きます

 

<お願い>
私のブログは「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望が元で書き始めたものです。
従ってこれは会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与えることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると幸いです。

 

 

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