「『頑張る』と『夢中になる』の違い」の続き

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(※これは2009年03月01日のブログからの転載です)

 

前回テーマ「『頑張る』と『夢中になる』の違い」を
自分で読み返していてシックリこなかったので補足します。

 

私は「頑張る」という言葉というより、
その言葉の持つイメージが好きになれないのです。

でも使い方によってはプラスのイメージがありますから、
そんな時は嫌ではないです。

例えば、高校野球で球児達が甲子園出場を目指すために
一生懸命に「頑張る」というのは好ましいです。

自分の夢に向って練習に汗を流している。

色々遊びたいこともあるだろうけど、
夢のために我慢することには決して負のイメージは持ちません。

もし夢が叶えられなかったとしても、
それを目指した自分を誇りに感じていると思います。

そして人間としての成長もあるでしょう。

こう言うプラスのイメージ、夢を目指しての「頑張る」は好きですね。

これは「夢中になる」と同じことと思います。

 

でも、結果に夢が見れないもの、終わりが見えないこと、
先に灯りを感じれないことに、「頑張る」ことは避けるべきと考えます。

 

仕事、家事、子育て、介護・・・・etc、これらはいずれも大変なことです。

そして生きていく為には避けれないものです。

こう言ったことに対しては、世間的な常識、道徳観、倫理観を理由に
自分がやらなければならないから「頑張るんだ!」とは私は思いません。

これらのことに対しては自分なりの価値感で夢や希望、光を見つけてから
やろうと思います。

自分にとってこれらのことに楽みや喜びを感じながら出来そうになるまでは
「頑張る」ことはしません。

その先にプラスのイメージ、光が見えるように心の準備をしてからでないと、
その「頑張る」は、ただ自分にとって辛いこと、苦しいことだけになってしまいますからね。

(こういった心の苦しみから気が病み、病気が始まると私は思っています。)

 

何でもそうですが、自分にとってその先に夢や光が見えないことには頑張らないことですよ。

逆に、他人から無理だ、不可能だと思われることであっても、
それが自分にとって夢であり、それに自分が僅かでも光を感じることができれば、
自分を信じ頑張って良いと思いますよ。

なぜなら、その「頑張る」は自分を幸せにするものだからです。

人生を幸せに、病気をせずに生きるには、
何に対しても常にプラスのイメージを持てること、
自分の心が常に光(楽しい、嬉しい、心地よい・・・と感じること)の方に
向いているように生きていくことが大切だと考えています。

もし、心に光を感じれなかったら、
「今はまだ準備が整っていないんだな」と解釈して、
私なら光を感じるまでは「頑張る」ことはしません。

そんなときは、適度に休みながらボチボチやります。

私は自分に優しく、何事にも柔らかく、気分よくをモットーにしてますからね。

 

試してみれば気づくと思いますが、
何事もそういう気持ちでやった方が、我慢して頑張るよりも上手くいくのですよ。

前回のテーマ「『頑張る』と『夢中になる』の違い」では、
こう言ったことをお伝えしたかったです。

 

 

 

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