心は自由、あるがまままでいい

この記事は約4分で読めます。

ブログのテーマ

今回はブログのテーマを
「心は自由、あるがままでいい。」にした。

いろいろ考えたが、
今、自分が一番伝えたいことをテーマにした。

 

あるがままを受け入れる、
とよく私は書いているが、
なかなか出来るのものではない。

その理由の一つが、
心についての認識だと思っている。

 

常識という制限

人は、
常識というものに縛られ
日常をその制限の中で生きている。

その制限は、
自分の可能性も縛り
心を窮屈にしている。

 

それと同時に、
その制限は心の中で基準線になり、

人生で起こる出来事を測り、
正誤や善悪を判断し
自他を裁き、
自他を責め、
結局は自分の心を苦しめることになる。

 

他人の価値観を信じ込んでしまっている

そもそも心には何も制限はない。

自分が想像できるかぎり
何を考えてもいいし、何を信じてもいい。

 

それなのに、
この世に生まれ、生きている内に
他人(親や先生、自分より先にこの世に生まれた多くの人達)
からの価値観を
何の疑いもなく「そういうものだ」
と自分の中に受け入れ、完全に信じ込んでしまっている。

 

それは自分を幸せにする価値観かもしれないが、 
その反対で自分を苦しめる価値観かもしれない。

 

ただ、私には、
そのほとんどが、
自らを締め付ける苦しめるものにしか見えないのだがね。

そして、
この自分を苦しめる価値観が
私の心から無くならなければ、
私の心の苦しさは消えない、ということになる。

 

心の本質を思い出すこと

この価値観をdelete、消去するには、
心の本質を思い出すことである。

それは
心は自由ということ、
本来、心には何も制限がないということである。

そして、
自分の心に様々な制限を
全く疑いもなく受け入れたのは、
自分自身であるということ。

 

自分だけが消去できる

ならば、
自分が自分の心に様々な制限を書き込んだのなら、
それを消せることができるのは、
自分だけなのである。

そして、この消去には、
他の誰でもないし、誰の許可もいらない。

 

消すといっても、大そうなことではない。

自分が、
「バカバカしい、
 もう、こんな価値観は私にはいらない!」
信じることを素直にやめればいいだけである。

 

常識に縛られ続けている一般的な人々は、
その決意を反対するかもしれないが、
そんなことは気にせずに
自分はバカバカしい価値観を止めればいいだけでる。

 

心は自由、決まり決まった価値観はない!

万人が認める常識なんてない。

永遠、不滅の基準なんてない。

生き方は人それぞれ、
人間の数だけ価値観があり生き方があるだけである。

自分と違った価値観、考えの人がいてもいいのだ。

 

誰が正しくて、
誰が間違っているかは決まっていない。

立場、状況が違えば物事を測る基準は変わるから、
物事に正誤、善悪はない。

ただ、いろいろな価値観、考え方があるだけである。

 

自由、
それは、なーんにも制限がないこと。

心の自由とは、
心が限りなく大きいことを意味する。

そう、それは無限ということ。


誰の心も、
その本質は無限の大きさであり、
自らも知ることが出来ない程の
大きな大きな器なのである。

ならば、
全てを赦し、
あるがままを受け入れることなど
全く余裕で、他愛もないことである。

 

 

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

タイトルとURLをコピーしました