何をしたのか!ではなくて、 どんな気持ちでしたのか!が大切である

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気持ちが重要

気とは生命エネルギーであり、
その人が放つ雰囲気(カッコよく言うとオーラ)でもある。

そして気は感情で自分にとってどの様に働いているかが分かる。

いい気分なら身体にに滞りなく巡っていることを表し、
自分の周りに好いオーラを放つことになる。

嫌な気分ならその逆のことになっている。

ならば、
行為が一番大切なのではなく、
それ以上にどんな気持ちで
そのことをしたかが重要になる。

 

同じことをするにも、
義務という捉え方で行えば、
気持ちは下向きであるから気も下がってしまい
折角の行動が良い結果に結びつかなくなる。

一方、「自分がやりたいからやるんだ」
という気持ちなら、
やらされているという訳ではないので、
そこには嫌な気持ちが入り込むことは無い。

だから、その行為は望ましい結果に繋がっていくことになる。

 

人生に表れる

自分には嘘はつけない。
どんな価値観を信じ、
それによりどんな感情を抱いているかは隠せない。
必ずそれは人生に表れる。

 

家族のために!
子供のために!
彼のために!彼女のために!
社会のために!世の中のために!等
その行為が自分の為でなく
相手が一番になっているのなら
要注意である。

そこには義務や犠牲が隠れているから、
自分の心は喜んでいないので気は下がっている。

その行為の結果は、
望むものにはならないことになっていく。

 

心は自由であることに気づいていない人、
常識というカチカチの固定観念に囚われたままな人は、
「そういうものだから」と
無意識のうちに義務感で行動をしている。

こういう人は要注意である。

 

自分の気持ちを一番にしてしたのなら・・・

同じ行動をするのにも、
心の自由を知り、
その上で自分の意思で
「私がしたくてしているんだ!」
という気持ちなら、自分の為にしているので
それだけで幸せなはずである。

だから気は上を向き高められるから
いい結果に繋がるだろう。

例え結果が望まないものでも
やれたことだけで満たされているはずである。

 

与えたものが与えられる

自分の気持ちを一番にしてる人は、
「やさせてもらえた」という気持ちが、
関わる人々に感謝の気持ちを伝えたくなるだろう。

一方、
義務で行う人は、相手から感謝が欲しくなる。
他人の為に我慢し犠牲になれば、
それに見合う報酬が欲しくなるのは当然である。

しかし、
感謝を欲する者には感謝は与えられない。

感謝をする者が感謝されるのである。

 

与えたものが与えられる。
それは目に見えるレベルものではない。
目に見えないレベル、その中にそのことは起こっている。

 

我々は常に気を放っている

世の中、
同じことをしていても同じ様な結果になることは少ない。

その原因は、
それをどの様な気持ちで行ったのか!が
結果の違いを作るのであると私は推察する。

 

形(五感で感知できるもの)だけを真似をしても
その中身(心・価値観から生じる気持ち)が異なっていれば
人から放たれる気は異なる。

それは身体を巡る気も変わり
身体的な能力(知性、体力、技能など)
の発揮にも影響する。

また、周りに影響を与える雰囲気(オーラ)も異なり
人との関わり方の善し悪しにも違いが出る。

故に形の真似だけしても結果は同じにはならないのである。

 

だから私は常々自分の感情に敏感になり
自分が放っている気の向き(自分にとって有益か有害か)に
早く気付くことを勧めているのである。

 

 

何事も悶々とした気持ちで
心を犠牲にして行っても上手くはいかない。

心は自由、決まり決まった価値観は無い。

自分の心を縛る否定的な常識を手放し
自分に素直に正直に自分の意思で生きることから
人生は好転し、健康も回復すると私は信じている。

故に、人生は偶然ではない、必然である!と私は思う。

 

 

<お願い>
このブログは私のひとりごとです、私の個人的な価値観を気ままに書いてあるだけです。
元々は「治療中の会話の中で重要な部分だけでも後から思い出せる様にして欲しい」という患者様からのご要望から書き始めたものです。
従ってブログの内容は会話の一部分の要約であり、お悩みの内容や会話中の質疑応答などは殆ど省略されています。
そのため、このテーマについて全く私と会話をしたことが無い人が読んだ場合、意味が通じず誤解を与え不快にさせることもあると思います。
何卒、その点をご了承の上お読み頂けると大変ありがたいです。

 

 

 

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