気を調え心を癒す・きぼう堂鍼灸治療院へようこそ。

「人間は未熟」

人間は未熟であるから・・・。

「人間は未熟であるからこそ、完璧な存在である。」

「未熟」と「完璧」、

矛盾する言葉であるが、実はそうではない。


人間は常に成長する。

それは身体(肉体・頭脳)だけでなく、

心・精神・魂の成長を意味する。


人間がもし完成された存在なら、人間には何も起こらない。


なぜ、何も起こらないかと言うと、

それは、完成とは、変化が起こらないことだから。(※)


もし、人間がどこかの時点で完成してしまうなら、

やっぱりそれ以降は、もう何も起こらない。


完成、そこからの成長は無いことを意味する。

これでは、生きていてつまらない。




ものごとは、変化があるから面白いのである。

人間は常に成長する余地があるから、生きる意味がある。


常に成長するために、終わり無く成長するために、

人間は、ずーっと未熟な存在なのである。

それは、人生をずーっと楽しむことになる。


未熟とは、まだまだ伸びしろがあること。

自分の中にまだ気付いていない可能性があること。


成長は、喜びであり、幸せである。

未熟とは、もっともっと楽しんで良いということ。

もっともっと幸せを感じて良いということ。




自分は何をやってもダメだと思うことはない。

自分には価値が無いと思うことはない。


完全な自分、完成した自分を求めるのでなく、

成長し続けれることに意味がある。


そして人間は生きているだけで日々、

いや、この一瞬にも成長していることに気付いて欲しい。


「生きること」の目的が、自分が「幸せを感じること」なら、


人間は、永遠に未熟であるからこそ、永遠に幸せを感じることが

出来る存在である。と言える。


故に、

今、既に、誰もが幸せを感じる為に完璧な存在なのである。


こう言った意味で「未熟」と「完璧な存在である」は、

矛盾しないと私は思っている。




※これは2010年12月15日のブログからの転載です




(※):追記事項

完成とは、何も起こらないこと。
もし、変化が起これば、それは完成ではない。
完成までの途中で、つまり、未完である。


何も起こらないとは、何も始まらないこと。
始まりが無ければ、もちろん終わりは無い。

始まりも終わりも無いことは、「無」ということでもある。
完成は、無であるとも言える。


でも、人間は、こうして存在している。
無ではない。

無ではないので、やはり完成した存在ではない、と言える。
つまり、人間は未完であり未熟である。













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